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【徒然草 現代語訳】第百七段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

女の物いひかけたる返事、とりあへずよきほどにする男はありがたきものぞとて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、時鳥や聞き給へると問ひて試みられけるに、なにがしの大納言とかやは、数ならぬ身はえ聞き候はずと答へられけり。堀川内大臣殿は、岩倉にて聞きて候ひしやらむと仰せられたりけるを、これは難なし。数ならぬ身、むつかしなど定めあはれけり。

すべてをのこをば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。浄土寺前関白殿は、をさなくて安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞと、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、あやしの下女の見奉るも、いとはづかしく、心づかひせらるるとこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふべき人も侍らじ。

かく人にはぢらるる女、如何ばかりいみじきもねのぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、ものの理を知らず、ただ迷ひの方に心もはやく移り、詞も巧みに、苦しからぬことをも問ふ時はいはず、用意あるかと見れば、又あさましき事まで問はず語りにいひ出す。深くたばかりかざれることは、男の智慧にもまさりたるかと思へば、そのこと跡より現るるを知らず。すなほならずして、拙きものは女なり。その心に随ひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば、何かは女のはづかしからむ。もし賢女あらば、それも物うとく、すさまじかりなむ。ただ迷ひをあるじとしてかれにしたがふ時、やさしくもおもしろくも覚ゆべきことなり。

翻訳

女の問い掛けに当意即妙な気の利いた返しをする男も稀だということで、亀山院の御代に浮かれた女房たちが、年若い公達が参内する度毎に、時鳥の声はもうお聞きになられましたかしら?と試しに訊いてみたところ、某大納言とおっしゃる方は、取るに足らぬ身の私なんぞはまだ耳にしておりませぬ、とお答えになられたらしい。一方、堀川内大臣殿は、はて、岩倉で聞きましたような…、とおっしゃられた、これについて、まぁ無難ちゃ無難ね。取るに足らない身だなんてずいぶん背負ってるわ、嫌味よね、とかまびすしく評定を下し合われたとか。

どうやら男というものは、ゆめ女から笑われたりせぬよう養育せねばならぬものらしい。浄土寺の前の関白師教公は、幼少のみぎりより安喜門院が手塩にかけそこのところをよくよく教えて差し上げたものだから、言葉遣いが実にご立派であられるのだ、とさる方が仰っておられた。山科の左大臣実雄公は、無教養な女を相手にすると気が置けて仕方がない、むしろこちらが気を遣わなくてはならないので疲れると仰ったという。万一この世に女なんてものがいなければ、衣紋も冠にも構うこともない、身だしなみをきちんとしようと心掛ける男もいなくなるだろう。

こうまで男に気を遣わせてしまう女が、どれほどのものかと云えば、いやはや女の本性はどいつもこいつもねじまがっている。いたってワガママ、すこぶる貪欲、ものの道理を一切わきまえず、迷うことを楽しむかのごとく心変わりが激しい、言葉巧みでこちらの問い掛けにはどうってことないことにでももったいぶって即答せず、それはそれで嗜みがあるのかと思いきや、訊いてもいない突拍子もないことまでペラペラと喋りまくる、用意周到に言葉を繕い表面を飾ることにおいては男の智恵より数段勝ってはいるものの、後々粉飾がばれてしまうことには思慮が及ばない。詰まるところ素直じゃない、所詮は拙いのだ。そういう女に波長を合わせて気に入られようと腐心するのは、まことにもって残念至極というものだろう。女に気を遣うなど無益も甚だしい。仮に賢い女というものがいるとすれば、それはまたそれで親しみもわかず、興醒めじゃなかろうか。ただ、のぼせたように熱くなって女の云うがままになっていると、優しさを感じ夢中になってしまうのだから不思議なものだ。

註釈

○亀山院の御時
1259年~1274年。

○堀川内大臣殿
源具守。

○浄土寺前関白殿
九条師教。

○安喜門院
後堀川天皇の皇后。九条師教の大叔母。

○山科左大臣
洞院実雄。


絶口調。筆が冴えに冴えてます。
千々に乱れる男心。
百発百中恨み節、でしょうね。

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