添田@ブレイクスルー・ソリューション

コンサルタント、コーチ、研修講師をやっています。 組織マネジメント、一緒に考えましょう。

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最近の記事

備忘録 22-12-31

窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず ――窮則変、変則通 『易経』 事態がどん詰まりの状態までに状態にまで進むと、そこで必ず情勢の変化が起こり、そこからまた新しい展開が始まる、というのだ。『易経』によれば、これが人間世界を貫く不変の法則だという。たしかにそうであるにちがいない。 われわれの処世でもっとも気になるのは、窮したとき、つまりどん詰まりの状態に陥ったときの生き方だ。相当な人物でも、ここで取り乱したり、ヤケを起こしたりして進退を誤ることが少なくない。『易経』のこと

    • 備忘録 22-12-30

      歓楽極まって哀情多し ――歓楽極兮、哀情多し 『古文真宝』 漢の武帝の「秋風辞(しゅうふうじ)」と題する詩の一節。もう少し引用すると、 歓楽極まって哀情多し 少壮幾何(いくばく)ぞ 老いを奈何(いか)にせん とある。武帝は漢代の全盛期の皇帝である。しようと思えば何でもできる立場にあり、その楽しみ方も豪奢をきわめたて違いない。しかし、そのかれですら、楽しみのかげにしのびよる「哀情」をいかんともできなかった。これが人生というものかもしれない。われわれの楽しみ方など、武帝

      • 備忘録 22-12-29

        徳に順う者は昌え、徳に逆らう者は亡ぶ ――順徳者昌、逆徳者亡 『漢書』 漢の劉邦が項羽の覇権に挑戦し、洛陽のあたりまで軍を進めたときのことである。そのあたりの董公(とうこう)と呼ばれる長老が面会を求め、このことばを引いて、大義名分を明らかにし道義の上でも優位に立つことを進言したといわれる。「徳」はこの場合、道義あるいは道理と理解すると、わかりやすい。 董公はこのとき「臣(しん)聞く」と言ってこのことばを引用している。それを見ると、このことばもまた諺のように流布していた

        • 備忘録 22-12-28

          断じて敢行すれば鬼神もこれを避く ――断而敢行、鬼神避之 『史記』 秦の始皇帝が巡幸先で急死したときのことである。遺詔(いしょう)によって長男の扶蘇(ふそ)が後継者に指名されていたが、宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)は扶蘇を殺して次男の胡亥(こがい)を立てようと考えた。凡庸な胡亥を操縦して自分が実権を握ろうという腹だ。このとき趙高が渋る胡亥におどしをかけた強談判のなかに表題のことばが出てくるのだ。 「小を顧みて大を忘るれば、後必ず害あり。狐疑(こぎ)猶予すれば、後

          備忘録 22-12-27

          疾風に勁草(けいそう)を知る ――疾風知勁草 『後漢書』 「勁草」とは強い草である。風のおだやかな日には、強い草も弱い草も区別がつかない。だが、ひとたび疾風が吹き荒れると、弱い草は地べたに這いつくばってしまうが、強い草は叩かれても叩かれても、頭を上げてまっすぐに立とうとする。疾風の吹き荒れる日にこそ、勁草の真価が発揮されるのだ。 人間もそれと同じこと、平穏無事な日々には、強い人間も弱い人間も、見分けがつかない。困難や逆境に出会ったときに、はじめてその人間の真価が発揮さ

          備忘録 22-12-26

          ただ有道者のみ能(よ)く患(わざわい)をいまだ形(あらわ)れざるに備う ――惟有道者、能備患於未形也 『管子』 「有道者」とは、すばらしい徳と能力をもった人物である。この場合は立派な指導者といった意味。そういう人物であってこそ、はじめて禍を未然に防ぐことができるのだという。その理由として『管子』は、つぎの二点をあげている。 一、時宜(じぎ)を得た対策を立てるので、常に大事に至らない。 一、公平無私構な態度で臨むので、広く部下の支持を集めることができる。 その逆はこう

          備忘録 22-12-25

          憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る ――発憤忘食、楽以忘憂 『論語』 孔子の弟子に子路(しろ)という人物がいる。ある人が、この子路に向かって、「孔子 とはどんな人物ですか」とたずねた。だが、子路は答えられなかった。あとでそのことを知った孔子は、こう語ったという。 「女(なんじ)なんぞ曰(い)わざる。その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ、と」 なぜ答えてくれなかったのかね。時勢を憂えると食事

          備忘録 22-12-24

          太上(たいじょう)は下(しも)これあるを知る ――太上、下知有之 『老子』 『老子』は 指導者のランクを四等級に分類している。 「太上は下これあるを知る。その次は親しみてこれを誉(ほ)む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る」。これを最低のランクから並べると、一、部下から馬鹿にされる指導者、一、部下から恐れられる指導者、一、部下から敬愛される指導者。 そして最も理想的な指導者は、「下これあるを知る」である。「下」とは部下。部下から見て、上にそれらしい人物が坐ってい

          備忘録 22-12-23

          功を建て業を立つるは、多くのは虚円の士なり ――建功立業者、多虚円之士 『菜根譚』 事業を成功させ、功績を立てるのは、素直で機転のきく人物だ、というのである。『菜根譚』はまた、「事を僨(やぶ)り機を失うは、必ず執拗(しつよう)の人なり」――事業を失敗させ、みすみすチャンスを逸するのは、きまって強情で融通の利かない人間だ、とも語っている。 成功するタイプ――虚円の士 失敗するタイプ――執拗の人 この対比をよく噛みしめていただきたい。 もう少し違った言い方をすれば、「

          備忘録 22-12-22

          君子に三戒あり ―― 君子有三戒 『論語』 君子は三つのことを戒めなければならないのだという。まず孔子の言葉を聞いてみよう。「少(わか)き時は、血気いまだ定まらず、これを戒めること色に在り。その壮なるに及んでは、血気まさに剛なり、これを戒めること闘に在り。その老いるに及んでは、 血気すでに衰う、これを戒めること得に在り」 わかりやすく箇条書きにすると、 次のようになる。 一、血気の定まらぬ青年時代には、色欲を自重する。 一、血気盛りの壮年時代には、闘争力を自重する。

          備忘録 22-12-21

          人の患(うれい)は一曲に蔽われて大理に闇きにあり ――人之患、蔽於一曲而闇於大理 『荀子』 物事の一面にとらわれて、全体を把握できない。これが人間の欠点である、という意味だ。なぜ、そういうことになるのか。『荀子』によれば、偏見によって心がまどわされるからだという。 「心がまどわされるのは、好悪の感情に左右されるからである。始終、遠近、広狭の 一方にとらわれるからである。過去、現在の一方にとらわれるからである。どんなことでも、一面だけにとらわれると、心がまどわされて大局

          備忘録 22-12-20

          人を恃(たの)むは自ら恃むに如かず ――恃人不如自恃也 『韓非子』 人の力をあてにするな、自分の力をたのめ、というのだ。『韓非子』は、こんな話を例にあげている。   むかし、魯の国に魚の大好きな宰相がいた。噂を聞いて、国中の者がわれもわれもと魚を届けてくる。だが、宰相はひとつも受け取ろうとしない。ある者がわけを聞いたところ、こう答えたという。 「いや、なに、好きだからこそ断るのだ。受け取れば、世辞のひとつも言わねばならん。やがては相手のために法を曲げることにもなろうと

          備忘録 22-12-19

          熱閙(ねっとう)の中に一冷眼(いちれいがん)を着くれば、便(すなわ)ち許多(きょた)の苦心思(くしんし)を省く ――熱閙中着一冷眼、便省許多苦心思 『菜根譚』 「熱閙」とは、あわただしく動き回っている状態。そういうなかにあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、ずいぶんと心のいらいらを解消することができる、というのだ。ちなみに「許多」は、たくさん、多く、「苦心思」は、苦しい思い、という意味である。 あわただしく動き回っていると、どうしても気持ちが上ずってくる。

          備忘録 22-12-18

          君子に九思(きゅうし)あり ――君子有九思 『論語』 君子には、常に心がけなければならないことが、九つあるのだという。孔子は、こう語っている。 「君子に思あり。視るは明(めい)を思い、聴くは聰(そう)思い、色は温を思い、貌(ぼう)は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑わしきは問うを思い、忿(いか)りには難を思い、得るを見ては義を思う」 一、視覚においては明敏であること 一、聴覚においては鋭敏であること 一、表情においては温か味があること 一、態度においては誠実であ

          備忘録 22-12-17

          已むべからざるに於いて、已むる者は已まざる所なし ――於不可而已者、無所不已 『孟子』 やめてはならないところでやめる人間は、 何をやっても中途半端なことしかできない、 という意味である。『孟子』はまた、こうも語っている。 「厚くすべき者に於いて薄くするは、薄くせざる所なし」 念を入れてやらなければならない時に手を抜く人間は、何をやってもいい加減なことしかできない、というのだ。 人生には、何度か正念場がある。ここで踏ん張らなければ、せっかく今まで築いてきたものを失

          備忘録 22-12-16

          忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む ――忠告而善道之、不可則止 『論語』 「朋(とも)あり、遠方より来たる、また楽しからずや」とは、『論語』の初めのところに出てくる有名なことばである。孔子の時代は電話などという便利なものが普及していなかったから、それだけ、友人と会う喜びも格別なものがあったにちがいない。 では、友人とのつき合い方について、孔子はどう考えていたのだろうか。あるとき子貢という弟子からそのことを問われて、つぎのように答えている。 「忠告してこれを善道