見出し画像

「成熟」と変わらないもの

こんにちは!パクチーです。

HYBE所属の子会社の社長で、プロデューサーのミン・ヒジンさんの色々…全然知らないんですけど、記者会見を見たいわけではないし、深追いしたくないんだけど、なんだろう、なんか気に掛かる…。

ところで。

先日、j-hopeくんのドキュメンタリー「HOPE ON THE STREET」で使用されたostの、レコーディングビハインドを観ました。

いや〜。毎度j-hopeくんの着ているものが、「豊かさとはこういうことよな!」と思って唸る。丁寧に仕立てられた、着心地の良さそうな、高そうなお洋服ばかりで、見るからに大切に着てそう。きれいな服からもらうエネルギーを、確実に自分のエネルギーに変換して、使っている、というような。

そして、j-hopeくんの、動画の隅々まで素晴らしいコンセントレーション。素晴らしいゲスト陣。久しぶりに見る動いているジョングクくんの姿、彼の声で「ふわぁ〜❤️」っとなる…。すごいな…。あのふわふわの声の包容力、ヒョンたちが大切に育てたジョングクくん…あのいでたちから、あのふわふわトーンが出てくるのが、あれがマンネで、見慣れてるとは言え、よく考えたらものすごいギャップよな。

レコーディングで登場したゲコさん、ユンミレさん、ユンミレさんと一緒に来ていたTiger JKさんは、かつてRMくんがフューチャリングしたことのあるアーティストで、以前、和訳したことがあった。

自分で和訳すると、その人物について忘れない上、とてもよく知ってる人のような気になる…!(実際は、ゲコさんらについて、RMくんがフューチャリングした楽曲しか知らない)。

上記のnoteには、RMくんのフューチャリングした【SEXY NUKIM】が、一番先頭にありまして。

真珠に手を出すなら悪夢は必至
俺について不勉強じゃないの
俺らルールを守るってタイプじゃなかったろ
しょぼいロレックスにフェラーリって
お前一体どうしちゃったの?
あんたにとって俺はまだ「運命の少年」かい
心の声が漏れてるぜ
「あんたの金」ってのが普通に笑える
俺らが「唯一無二」を続けるなら、
俺に借りを負うと叩き込んどけ
猶予はないね、俺は24時間孤独を感じる間もなく忙しい
まずは反省しよか
まあ謝罪されてもクソ喰らえなんだけど

お嬢さん、そのまま姿勢を低くね
俺らが今乗ってるからさ
今夜は君を描く
DMはいらないよ
君のことは会社で聞いてる

SEXY NUKIM」RMパート

そんでもって、RMくんのこちらのWeverse Liveを思い出した。

わたしが【SEXY NUKIM】のRMくんパートから受け取ったのは、同種業界、もしくは自分の属する会社にいる特定の誰かに対する苛立ちだったし、Liveを見た時に思ったのは、「会社が、大きく、本当に大きくなって、力のある構成員が同じ方向を向くなんて、不可能なんだろうなあ」ということだった。

RMくんは、Live内で、「僕たち仲が良くて本当に良かった」と言っている。この言葉は、ここでは、言葉以上の意味を持っている。

そう。

わたしは、ミン・ヒジンさんがプロデュースしている女子アイドルグループ「New Jeans」さんのMVが、初期の頃から、見れない。何度も見ようと、新曲が出るたびにトライするんですが、見れない…。多分、「New Jeans」さん達おのおのは、素晴らしいお嬢さん方で間違いないでしょう。…しかし、MVから感じたミン・ヒジンさんの人物像と、今回の彼女の言動に違和感がなかったので、さもありなん…。というか、起こるべくして…。と、思った、実は。

株式会社とは、会社の利益を守るシステムですので、社長個人を守るものじゃない。彼女の行動は経営者として、最悪すぎてお話にならない…。だが、単純にそう言い切ってしまえない、何か、気に掛かるものが、そこにはある…何か…多分、わたしの本質に関わる何か…。

最近、わたしはゴータマ・シッダールタさんに興味があってですね。原始仏教を学ぼうとし始めたところなんですが。執着は、苦を生み出す原因になるんですってよ。わたしの考えでは、執着する時は、自分が本質からずれている時なんじゃないかと。つまり、わたし個人となんら関係のないはずのミン・ヒジンさんに固執するわたしは、何か一部が、自分の本質とずれている。それが思考させている。

多分、この話は、根が深いような。

ここでちょっと社会的な話を。

韓国の出生率が今年、さらに下がって、ソウルでさらに低く、0.55%だそう。ソウルっ子の「子供は産まなくていい」と思う率が高い。

K-POPの女子グループを「ヨジャグル」と言うが、言うまでもなく、彼女達の身体は、「やがて子を宿し、育む体だ」ということを、尊重された環境では活動していない。「痩せててきれい」という以上に、わたしの目には、内臓に負担をかけた、不健全の域に入っているように見える。活動期間中「生理が止まる」というのはよく聞く。まるで、臓器を切り売りしてお金に変えているに等しい…だけど、もう「子供はいらないんだ」と。韓国世論も、彼女たちに子供を産むことを求めてもいないんだと。「母」はいらない。…と、データは言っている。

「消滅危機」のタイトルは、国連人口部や、オックスフォード人口問題研究所が、「韓国が人口減少で国家を維持できなくなり、世界で最初に地球から消滅する」と予測したことに由来しているんだと思われる(参考文献)。予測されているのは2100年代頃。国防とか言って、兵役義務を課している間に、他国から侵略されるより先に、内部が滅びるかもしれない。

生活格差や失業率、エデュプア(教育費が収入を上回る)など、金銭的な部分に出生率低下の原因がある、というのは理屈として理解できるが、根本的には、若者世代が、過去の世代から、引き継ぐに値する文化的歴史的社会的価値観を、受け継いでいない、という問題なのではないか?そして、後世に継ぐに値する価値を、自分の世代で感じられていない、ということでもある。これ、結構深刻なことじゃないか?

一代限りの、一年草みたいになっておる。人間が。

わたしは、「New Jeans」さんを見ていると、ミン・ヒジンさんが当てはめているコンセプトについて、ひじょ〜〜〜に、「きれいはきたない、きたないはきれい」という言葉を思い出す。シェイクスピアの、「マクベス」の冒頭のセリフ。原文は「Fair is foul , and foul is fair」。

ミン・ヒジンさんの言動をかいつまんで見ると、彼女が、自分の作品である「New Jeans」という成果物と自己を、同一化している、というのを感じる。そういうものづくりをするアーティストはよくある。自己同一化の繰り返しの果て、彼女は今、すっかり傷ついてるのかもしれないなあと思った。K-POP業界で、彼女が最も価値があると信じる若い少女の期間限定の美しさを、ガンガン商品にして消費させまくってきたことに、実は、彼女自身が、無自覚に、すっかり傷ついているのかもしれない。そうやって、ヨジャグルに関わって、傷ついてきた業界の女性は、少なくないのかもしれない。教育格差、賃金格差の激しい韓国で、10代が自分の魅力でもって凄まじい額を稼ぐ方法があるなら、それはどんなことをしたって正義で正解なのだ。「New Jeans」さんたちは、女神的な、完璧な女性性を表現している。その要素は、「処女性」「清純さ」「青少年」という、期間限定の無敵のエネルギーに依っている。彼女たちは、この手法を、青少年が終わるまでの限られた期間までしか使えないわけだが、切り花みたいにして、切って、切って、売って、売って、一度始めてしまったらもう逃れられない、そしてこれは正義だし、正解だ。

恵まれた容姿と、磨かれた能力で、女神的な完璧な女性性を表現し、それを理想的であると崇める人の肯定に依存して生きる。その枠をはみ出せない。そのくせ、美しく生まれた人間に、安易に理想と完璧を求める人心を、内心では憎悪し、軽蔑している。選ばれた自分達だけに分かる暗号でしゃべる。誰も入らせない。抜け駆けさせない。一人だけの経験を許さない。内側に隠れた欺瞞と残忍さ。処女性には、欲求不満が。清純さには、欺瞞が。美少女には、残酷さが。

それに気づかない大衆を憎悪し、軽蔑し、

憎悪されるものを持っている自分を、自分で憎悪している。

…それが、MVから感じたミン・ヒジンさんの女性観で、「ぐわ…すごい狂気」と、わたしは思った。自分の狂気を、無敵の「処女性」に包んで、「…無罪!」ということにしている…そりゃ同一化もするでしょう。「これを…青少年に…やらすなよ!!」。と、勝手に思いこんでいるの、それが、わたしのスタンスであります。青少年の1分1秒は、我々四十代のそれの、1000倍の価値があるじゃねぇですか。どんだけ彼女らの今後の人生に影響を与えるかって言ったら、計り知れない。

一体、どうやったら、「New Jeans」さんたちは、成熟した女性性を持てるでしょうか。今の「処女性」「清純さ」「青少年」に固執したら、彼女達の本質的な美しさから逸れてしまう。そのアイデンティティに固執したまま、年齢だけが過ぎて大人になってしまったら、20代に着るものはベビードールで、30代は裸になってしまう。「処女性」「清純さ」「青少年」を、どう捨てられるか。例えば、男性アイドルだったBTSは、少年から、幼さを捨て、大人になり、大統領特別使節になり、ホワイトハウスに訪問した。これ、意外に根本的な問題なんじゃないかと思うんだけど、ヨジャグルに、そんなルートは存在し得るんでしょうか。別にホワイトハウスが偉いと言いたいわけじゃないが、象徴的な例として。

女子アイドルは、その時代の理想の女性像を投影しておろう。彼女たちが成熟した女性性を持つためには、社会が投影する女性像が成熟している必要がある。社会が投影する女性像が成熟するためには、社会が成熟する必要がある。例えば韓国社会で、極端な格差、結婚しない、子供はいらないから犬でも飼おう、自分が充実してたら良くない?そうすると、社会が女性に求めるものはなんなんでしょう。どういう女性が求められるんでしょうね?それが女子アイドルに投影されている、んだと、わたしは考える。

切り花で一代限りにされてる女子は、自ら求めるまでもなく包まれているような、大きな流れの中に、根っこがつながっているような自分の価値が見出せない。そして、本質的でないもので、満足を得た、ふりをする。そんな風に見える。歪な形で、複雑に傷ついている。そんな、女子の持ってきた、業界で長い間、内包されていた痛みが、今、やっと表に出られるくらい、みんなの認識できるくらいに、形になってきたのかな。…というのが、今回感じたことでした。みんなが認識したところから、少しずつ現実が変わっていくのかな。それが、今回のことを通して学べることなんじゃないかと。そんな風に、わたしは腑に落としました。

執着しないところに、本質がある。

彼女たちの本質的な美しさは、「処女性」「清純さ」「青少年」をどんどん卒業していって、それでも変わらないものの中にある。

執着を外して、自己の本質に目を向けて、その結果、アイドルとファン両者の人生が、寄り添うような現象に、どうやってなれるか。女性アイドルと、女性アイドルに自己同一視したファンは、どうやって大人の女性になっていくのか。一緒に、成熟した女性性を持てるようになれたらいい、そういう風に変わっていく始まりが、始まったところなのかな〜という風に感じます。

BTSの7人が揃っている、バックヤードの映像なんかを見ると、7人揃っている場所が、「まるでパワースポットのようだ…」と感じます。いやしろち。ものすごい高いエネルギーがある空間、観ているこっちの内面が、すーーっとするの。もやが晴れて、不要な煩いが拭われるの、なんだか。…だけど、ソロのアルバムを、自分で翻訳した歌詞を見ながら聴いてみたら、やっぱりものすごく辛い過程があったのだ、と、改めてずーんとした。

個々の中には筆舌尽くし難い苦悩があった。なのに、どうして、7人揃った時はあんなにもパワースポット的な空間を保てたのか。

それは、それぞれが個々の苦悩を、7人いる場所には持ち込まないように、選り分けたからだろう。自分の中の、純度の高いきれいなものを持ち寄り合う、そういう決心があったからだ。そして、彼らは、個々が持っている苦悩を、それぞれに分解し、消化し、昇華し、凸凹を均して、新しい自分になろうとした。新しい自分が、また7人揃う場所で、差し出せるものを、楽しみにしている。変化し続けている。彼らの貴重な青少年期、「花様年華」、無敵の、を後にして、どんどん余分を落として、自分の本質に迫り続けている。変わり続けて、変わらない、嘘偽りのない核の部分に。

変化しながら、意識もされない、変化しない部分が本質なんだ。全ての過程は、そのためにあるのかな。嘘をついている限り、不要な部分が剥がれない。自分が自分で騙されている限り、執着するのだと。

執着するから苦がある、というのが、ゴータマ・シッダールタ先輩のおっしゃってることですが、何かに執着する時は、自分の内面に、気づいて欲しい自己があって、それは、意外と、執着しているそのものとはあまり関係がなかったりする。

これ、結構いろんなことで当てはまると思うんです。

さすが、ゴータマ先輩…。


それでは、また!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?