彼はたしかにセンターだった。〜ありがとう、ひろーせ〜

こんばんはhakuです。
本当はもっと早い時間に更新しようと思っていたのですが、本業で手こずった人です。(そしてさっき帰ってきた)

さて。
先日、フェニックス元広報担当であられた、ひろーせこと廣瀬教志さんの退職がTwitterアカウントでつぶやかれ、ブースターに大きな波紋を起こしました。
そう、今回は廣瀬さんへのラブレターを書いていこうと思います。
ほんとドン引きされないレベルでとどめたいですが、お付き合いのほど宜しくお願いします。

私が廣瀬さんの存在を知ったのは、何年か前に掲載された中日新聞の紙面上のことです。
そもそもフェニックスブースターになる前ではないかなと思います。
詳細な記事の内容は思い出せませんが、地元クラブチームの広報という紹介と、記事の中で描かれるそのプロフェッショナル性に心を動かされたことを覚えています。
こうなってしまった今、その記事を手元に残さなかったことが悔やまれます。(どなたかいつの掲載かわかる方教えて下さい…)
プロスポーツが存在する上で、それを運営している会社がありそこで働いている人がいる、という当たり前のことに気付かされた瞬間でもあります。

実際に私自身がブースターと呼べる存在になってからは非常に身近なところで仕事をされる存在でありました。
記者会見の運営はもちろんのこと、あるときはYoutuberになったり、あるときはTikTokerになったり、あるときはLINE LIVERになったり。
そして、何よりエンゲートで配信される「カゲトーークLIVE」の天の声。
とくにコロナ禍以降力を入れなければならなくなった、非接触型コミュニケーションツールの運営にご尽力されたこと、本当に感謝しかありません。
各種SNSがあったからこそ会場に足が遠のく中でも変わらず応援したいと思わせてくれました。
とくに毎週、「カゲトーークLIVE」での天の声、裏声で叫ぶ「We are Phoenix!!」の声に元気を頂いておりました。

会場では、開場前の待機列の案内口で拡声器を使用してブースターにわかりやすく案内をされる姿。
定型的な案内の中にブースターを思いやる言葉を織り込んでいたことも、印象的です。

 私が今、noteというツールでものを書き始めたのは、自分のキャリアの中で「伝える」ということを仕事にしたいと考えたからです。ですが、新聞記者やテレビのキャスターではない、ある程度限定した人に「伝える」という仕事をやってみたくなったから。
それは少なからずフェニックス広報の廣瀬さんに影響を受けて折ります。
実際に小規模ながら「伝える」という行為を仕事にできており、よりその精度を高めるための訓練として、noteを書いています。


一般的に広報というお仕事は、多くの立場の方と関わられると聞きます。
フェニックスで例えると、まず同じ社内…特に広報は経営陣の関わりも深い仕事になると推測されます。
それから営業社員やスポンサー会社の方、選手、そしてSNSを通じて一般のブースター。
横のつながりとして、他チームの広報他フロントスタッフの方との交流もあるでしょう。
ざっくり図にしてみました。また手書きですみません。

※一例です。

そんな廣瀬さんは確実にフェニックスのセンターだと言えます。
図にもしましたが、あらゆることに関わり、物事の中心の意味のセンターです。
三遠ネオフェニックスのセンターといえば、太田敦也選手です。
その太田選手が約3年前の朝日新聞主催のスラムダンク作者の井上雄彦先生との対談で「センターとは「笑顔で我慢」ということを仰っていました。

特にこの数シーズンはコロナ禍でそれ以前と同じ対応ができないことや、勝率がなかなか上がらないことで、主にSNS等を通じて一般ブースターの不満の矢面に立たなければならない状況も、多くあったかと思います。
ブースターの前、SNSで配信するカメラや会場では、私たちが知っている「広報廣瀬」像を貫き通されたのです。

センターの役割が「笑顔で我慢」だとするならば、広報廣瀬は、フェニックスの廣瀬さんは、確かにポジションセンターであると。
強い心とあらゆる方面に対するリスペクトを持ってなければ、このようにブースターに愛される存在でなかったと思います。

そんな廣瀬さんが今、「自由交渉選手リスト」入りなのか、すでに次の「契約が締結」された状態なのか…(多分契約締結済だと思っています)


いずれにせよ、そんな廣瀬さんの「移籍」後の人生がより良くなることを願っています。
ありがとう、ひろーせ。


リンク:朝日新聞社YouTube。


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