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愛は語れない。

「#わたしとフロンターレ」というテーマで川崎フロンターレが記事を募集していると知った。それ以上のテーマこそなかったけれど、これだけファンサポーターの多いチームには、愛溢れる投稿がたくさん寄せられる未来が想像できた。

じゃぁ私は…

正直愛を語るにはおこがましい分際だと感じてしまい、筆を取る手が躊躇した。コロナがなければ、今も他のクラブを応援していたからもしれないからだ。

Jリーグと私

Jリーグが始まって大盛り上がりの時代に学生時代を過ごした私にとって、好きなチームができることは当然の流れだった。社会人になって一人暮らしを始めるときも、その地域のスタジアム近郊をあえて選んだ。自転車で観戦に行けること、市内報に選手が載っていること、全てが思い描いた通りで永住すらしたいと思っていた。

ただ、1つだけ、うまくはまらないピースがあった。それは小さい頃から思い描いていた景色…

「家族で同じユニフォームを着て応援に行きたい」

「おじいちゃんおばあちゃんになってもユニフォームを着て一緒にスタジアムを歩きたい」

当時、目の前にいた彼氏はフロンターレサポーターだった。ここで私が折れれば夢は叶うかもしれない。だけど、そんな簡単に呑まれていいのか?!

きっかけは、緊急事態宣言

そんな葛藤を重ねたまま転居「させられた」なか、2020シーズンが明けてまもなく、Jリーグ自体が続行不可になった。どのテレビをつけても試合がやってない、どこを歩けどサポーターがいない、なんだよ…つまらない。あまりの"ロス"にしびれを切らし、近所にできたFROCAFEへ駆け込んだ。

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ここに来ると、少しだけ現実を忘れることができた。本当はユニフォームを着てスポーツを楽しむような情勢じゃないこと、試合の再開より先に感染の終息を願うこと…頭ではわかる。でも、本心が押さえ込まれる窮屈さは否めず、気づけば合法地帯に見えたこの空間で過ごす時間が日増しに増えていった。

ガチャガチャが、仕事帰りのご褒美だった。

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(ただこの頃は選手ガチャを引いてもほぼ誰もわからなかった…(苦笑))

見えてきた光

私がフロンターレになびいていることはすぐに夫にも気づかれた。彼が好きなチームに心を許すことは、どことなく悔しかった。ただ、楽しかった。グッズを買っても家族で喜べること、同じダイジェストを見て一喜一憂できること、優勝の瞬間はお互いたくさん写メを撮って送り合ったこと。

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(結婚記念日の乾杯で引き当てたコースター)

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(優勝の日にテレビを撮ってくれた写メ)

あれ、最後のピースが埋まろうとしているー。

やってきた後援会会員証

先日届いた小包には、初めて2名分の会員証が入っていた。真新しい会員証がうち1枚、台紙には「ファミリー会員」と綴られていた。こそばゆかった。でも、でもだ。去年コロナ禍でもサッカーのある毎日を続けて楽しめたのは、紛れもなく川崎フロンターレのおかげだった。優勝も、それ以外も、嬉しくて楽しかった。

ありがとう。そして、これからもずっとー。

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