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友情関係について

私には大事な友達がいます。
性別も年代もそれぞれ違います。私は友情関係に本当に救われてきました。

●友情関係はアンバランスでシビア

友情関係は双方向性と思われていますが、実はとてもアンバランスなものです。
例えば自分が一番の友達だと思っていても、相手の中では別に違うというアンバランスはしょっちゅうあります。それでも互いに友達でいることが心地よいと思っていれば、友情関係は成り立ちます。
また、一方が一方に対して、それまでの信頼や関心を無くせば、いつでも解消されてしまいます。恋愛関係や肉親関係と違い、友情関係に契約や保証は何ひとつ存在しないからです。片方が嫌になれば終わり、というシビアさがあります。
また、時が経てば人は歳を取り、成長し、環境の変化や価値観の変化や新たな出会いや別れがあります。いつまでも同じままというのは現実的に無理です。
友情とは、友情関係を続けたいという互いの意志と努力、更に偶然が重なって、ようやく継続が可能という、とてつもなくシビアな条件下にあるものなのです。
だから、もし長く続いている友情関係があるならば、それは本当にすごいのです。偶然、「理由はわからないが、気に入った」と思える人間と出会えて、偶然互いにそう思い続けていられて、偶然それが続いている。本当にすごいことだと思います。

●友情関係はすごい

「友達はすぐできる」とか、「友達はいればいるほど良い」とか、「友情関係は恋愛関係の下位互換」だとか、とにかく友情関係というものはかなり軽く粗雑に捉えられていますが、上記のように、友情が続いているということはすごいことだという、友達についての捉え方を再度考えるべきではないでしょうか。

「あの人は自分と全然違うから友達になれない」
「あの人は男(女)だから友達になれない」
「あの人は年上(年下)だから友達になれない」
というのは非常に偏狭な、もったいない考え方だと思います。

自分と同じような人とだけ、友達じゃなきゃいけないという決まりはありません。
むしろ、自分と似た相手ばかりと話すから、嫌なところが見え過ぎると感じてしまうのかもしれません。
また、友情関係は無契約なのに「ずっと友達でいよう」と決め込んだり、そのために「相手のことを全て受け入れなきゃ」と思い込んだりして、なんだか互いに重くていやになるのかもしれません。
友達は契約や保証がないぶん、捉え方や継続の仕方は完全に個々の裁量です。また、友達の許せないところは許す必要は良いし、自分が好きになれるところだけ好きになってもいいのです。友情関係はとても自由です。偶然出会っただけの赤の他人なのだから、訳がわからないのは当たり前です。私も長く続いている友達は、理解不能なところがあるけど興味深い人間ばかりです。相手からもそう言われます。

●もっと友情関係を!

何でもかんでも人間関係を恋愛関係に収斂させるのはどうなのかなと思います。
もしかしたら目の前にいる人は、恋愛関係でなく友情関係でこそ素晴らしい相手になれるということだってあるはずだからです。
異性間の人間関係は恋愛関係以外にも、友達や相棒や仲間や師弟やきょうだいやライバルや同志など、たくさんあると思います。

排他的で熱烈なふたりきりのロマンス恋愛関係も大切ですが、フラットで無邪気な友愛関係もとても大切だと思います。
偶然出会った赤の他人の中に、なんとなく自分が気に入るところ、好きなところを探してみる。他人に普遍的な関心を持ってみる。友達になれそうかな?と思ってみる。

友達を愛する感情は、自分の最も無邪気な気持ちと、相手への純粋な敬意と関心とセットです。有名な三島由紀夫の作品、「美徳のよろめき」の中で『個性を愛することができるのは友情の特権である』という言葉が、作中の男女の恋愛ドラマよりも、ずっと強く自分の中に残っています。私は自分が好きと感じる他者に対しては、性に規定された魅力より彼らの個性を全力で愛したいです。

友達はここを見てないですが、友達が彼らとしてこの世界で生きていることを、ありがたく思っています。会えて良かったです。



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