パパを思い出す日
なぜ女性のトイレは長いのだろう?
みんな排泄のほかに何をしているのだろう?
デパート内のトイレに並びながら考えた。
今日は気もそぞろであった。
内にこもりたいのに、池袋を歩き回りたい!と相反する気持ちが現れた。
3.11を思い出しているのだろう。
恐怖で心細かったあの日を思い出す。
わたしたちは潜在意識では全員つながっているので、池袋を歩きながら「怖かったね、あの日、あの時間、考える暇もないくらい大きく揺れた。たまたま無事だったから、みんなもこうやって歩いてるんだね。生かされている、ということなんだよね」と池袋に心の中で話しかけた。
電車は満員だったけれど、今日はイヤではなかった。
人のぬくもりを感じた数十分であった。
なんだかとってもさみしい気持ちになったが、むりくりポジティブに向かわせるのは、自分に対する虐待である。
さみしいまんま、ひとりぼっちのまんま自分の気持ちを感じてみる。
離れ離れになっちゃった、大好きだったのに、という気持ちが出てきた。
3.11の時、わたしの父は末期がんの闘病中であった。
大きな揺れの後、父に電話をして安否確認をしたのを覚えている。
父はこの時点で余命一年と言われていた。
一年後はいないであろう父に対して、こんな風に電話したり、メールしたり、心配しあったりする今と言う時間は、なんと貴重なのだろう、と会社の廊下で泣いたことを思い出す。
数ヶ月後に父の容体は悪くなっていった。
2011年のクリスマスイブの日、父のためにわたしはバカ高い漢方の薬を買った。
薬局の人が「末期の人には効かないと思う…」と遠慮がちに言ったが、わたしは「出来ることがもう他にないんです」とお金を払った。
もう1人の薬局の人が、わたしの肩をポンポンして「そうね、そうしたいって気持ちなのよね…」と優しく言った。
風がびゅうびゅう吹いて凍える寒さであった。
駅には誰もいなくて、わたしは誰にも遠慮することなく、薬を抱いて泣いた。
ほんとうに離れ離れになっちゃうんだ、小さい時から今の今まで大好きだったのに、と思いながら電車がくるまでいっぱい泣いたっけ。
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今、というのは過去を内包しているし、あらゆるパターンの未来をも内包している。
「今」は過去を癒せる。
今、ポジティブだろうがネガティブだろうが、「今」感じたことに真摯になることを、これからもコツコツとやっていこうと思う。
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そういえば、池袋はパパが青春時代を過ごした街だった。
パパ、わたしも新宿より池袋の方が好きだよ。開発が進んでキレイになってるけど、やはり池袋は池袋だよ。
そして女の人はトイレでもスマホ見てるから長いんだと思うよ。
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