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わが子へ


 わが家では、少し前まで里子を迎えていました。普段は児童養護施設や乳児院で過ごしている児童が、夏休みや冬休みなどのお休みの期間中に里親家庭に来る「フレンドホーム」という制度にのよるものでした。

 私の家に来ていた子は、普段は児童養護施設で暮らしている中学2年生(2024年現在)の男の子で、7歳のときから約8年間一緒に過ごしてきました。      
 施設の中では体験することのできない家庭の雰囲気を味わってもらうことを目的として取り組み、食事や買い物に出掛けたり、バーベキューや海に行ったりしていました。教育らしいことはできなかったかもしれませんが、成長を見守りながら楽しい時間を過ごしました。
 その子の児童養護施設への入所理由は、両親による身体的虐待とネグレクトでした。健全に成長するために必要な栄養や教育を受けられず、保護時の身体は同年齢の子たちの平均体重・身長を大きく下回っていました。まともな食事にありつけず、コンビニで無銭飲食をしていたところを店員が発見し、警察によって保護されたという経緯でした。また、児童相談所の報告によると、その時は寒い日にも関わらず肌着しか着ていない状態だったそうです。
 それ以降は、児童養護施設で生活するようになり、連休の日になると里親であるわが家へ来ていました。

 教育ネグレクトも受けていた影響から会話することや読み書きが不得意で、後天的な発達障害を抱えている状態でした。しかし、施設から学校へ通い、作業療法士によるリハビリにも励むことで少しずつ健全な発育をしていけるようになっていきました。
 里親である私たちとも時間をかけて信頼関係を築いていき、会える時間をお互いに楽しみにできていたのではないかと思います。
 実親とは離れる形になりましたが、客観的にはその子を育成する上での最適な環境が整っていると思っていました。

 しかし、小学5年生を迎えたある日、施設から電話がかかってきました。 
 「〇〇が話したいというので、代わっても良いですか?」とのことでした。
 〇〇君に代わると、すすり泣く声だけが受話器から聞こえてきたので、「ゴハン食べた?」と聞いてみました。
 すると、「食べてない・・・」とだけ言い、泣き始めました。
 辛いことがあった事を察し、「近々会いに行っていい?」と問いかけると、「学校のヤツにイヤなことを言われた。」と打ち明けてくれました。

 詳しく聞いてみると、クラスメイトの子たちに、「お前は施設育ちで陰気だから仲良くできない!」と言われて仲間外れにされたとのことでした。小学生だけの考えとも思えないので、その子の親か誰かしらの入れ知恵があったのかもしれません。

 私は、心無い言葉への悲しみとその言葉に含まれた下劣な差別への怒りで頭に血が上ぼり、「そんなことを言うヤツなんかと仲良くする必要ない!」「俺がそいつと先生に文句言ってやる!!」と言いました。

 その後、学校や施設側がどのような対応をとったのか知ることはありませんでした。
 〇〇君は、「別に、もうどうでも良いよ・・・」と、投げやりな言い方をしながらも自分の宿命を背負いつつ何とか前を向いて歩こうとしているように見えました。

 いろんな意見や価値観の人間がいる・・・とはいっても、世の中には持ってはいけない考えだってあると思っています。
 親に虐待され、生き別れて生活していくことを余儀なくされた〇〇君に何の罪があると言うのでしょう?
 施設育ちの子は皮肉れている?どんな理屈や根拠があって発した言葉なのかは当人らに聞いてみなくては分かりませんが、いずれにしろ〇〇君の尊厳を傷付けたことには違いありません。どんな教育を受けたら、そんな言葉が出てくるのか・・・1周まわって興味が湧いてくるほどでした。

 結局、私がこの件で学校や対象児童に文句を言うことはありませんでしたが、世の中に渦巻く非情さと思慮の欠落ぶりを痛感する出来事となりました。

 それまでは、彼の傷を癒やすとか実親の代わりになれたら・・・という考えを持って関わっていましたが、「実親とは離別したけど、施設や里親の元で養育されて良かったと思ってもらえるようにしよう。そして、苦難はあったけど、〇〇君にしか歩めないかけがえのない人生を歩むサポートをしていこう。」と、ないものを埋めるのではなく、ありのままの彼と共に歩むという考えに変わっていきました。

 〇〇君は、勉強は苦手でしたが、小さい子の面倒を見ることや力仕事が得意でした。よって、その能力を最大限活かせる仕事につけたらと考え、キャンプ場やスポーツクラブで働く〇〇君の未来の姿を思い描きながら関わりました。

 今思えば、人生を切り開くために必要なのは環境や状況ではなく、自分自身の考え方しだいでどうにでもなることを教えてくれたのは〇〇君だったのです。
 ・・・そのような気付きを与えられながら絆も深めていた中、何の前触れもなく「別れ」は突如訪れました。
 〇〇君の生活していた施設から「〇〇は、諸事情により自立支援施設に移ることになりました。今まで御世話になりました。」という手紙が届いたのです。
 突然過ぎる知らせに理解が及ばなかったので、施設に電話してみると、「詳細は言えないが、暴力行為があったので自立支援施設に移ることとなりました。今後は管轄が異なることとなったので、これで里親も解除となります。また、情報開示もできないので、〇〇がどこにいるかも伝えられません。」とだけ言われました。

 「里親解除って・・・そんな簡単に終わってしまうのですか?もう二度と会えないのですか?」
 「暴力を振るうのは良くないが、彼がそうしたことには理由があったはずでは?」
 そのようなこちらの言い分や質問など一切聞かれることなく、〇〇君との関係は強制的に終止符が打たれてしまったのです。
 行政判断・・・管轄が違う・・・そのような事務的かつ一方的な回答で納得できるほどの浅い関係ではなかったので、ずっと受け入れきれずにいました。人同士のことなのに、こんなにも血の通っていないやり方で終わるなんて今でも信じられません。

 現在、〇〇君と会えなくなり、約1年(2024年1月現在)が経とうとしています。
 どこで何をしているのでしょう?せめて元気にしているのかだけでも教えてほしいです。
 この悲しみは消えることはありませんが、いつまでも悲観していても仕方ないので、〇〇君が残してくれたことを手がかりにして私は私の仕事を果たしていきます。
 あの日、電話で泣きながらイジメられたことについて語ったようなことが、今も世の中で起きているでしょう。そうした歪んだ価値観や偏った意見をなくすためにもBrotherhoodでの発信を続けていきます。
 Brotherhoodの発信事業では、多様な価値観に触れるきっかけづくりを目標として掲げていますので、いろんな考えや生き方があることを前提としています。無論、すべてを理解できる訳ではありませんし、異なる考えもたくさんあるでしょう。違いがあることによって何が正しいかどうかを問い直すのではなく、違いを理解・尊重できるようになれたら、〇〇君のような子の生い立ちやアイデンティティに対して否定的な意見をぶつけてくることもなくなるのではないでしょうか。
 そして、必ずしも正義がまかり通る訳ではない不条理で理不尽な世界の中で生きていくために大切にすべきことは何なのかということを追求していきます。
 本来の私は、主張や発信することに臆してしまう気弱な性格ではありますが、あの日の電話で聞いた〇〇君の泣き声を思い出し、再会の日まで戦い続けたいと思います。
 今もこれからもいつまでもキミの帰りを待っています。


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