水族館で君はいくつもの名前をつける
雨の日のデートの行き先はいつも水族館だった。
決して手を繋がない君と僕。
“なんで一緒にいるんだろうね”とお互いに言い合う仲だ。
今日は2人ともバイトを休んだ。
カーシェアした車に乗り込む。
もしワイパーがなかったらそのまま水族館になれそうな雨だ。
「雨の日ってすごく心が渇かない?」と君。
助手席で君は、今日はジーパンじゃないその足を組んだ。
「君がそうなった時が一番僕の心が渇くよ」
僕はまるで海中走行用車みたいなハンドルを両手で握った。
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行きつけの水族館に着いた。
平日の今日はガラガラみたいだ。
大きな魚の口が描かれた入り口に、泳ぎながら入る君。
僕も吸い込まれる。
心が渇いている僕らは、あっという間にもう海の中だ。
まずは数匹のウミガメがゆったりと泳ぎながら僕らを出迎えてくれる。
ウミガメは大きさによっては『匹』じゃなくて『頭』で数えたりもするらしい。
大水槽のアクリルガラスに張り付くように見入る僕ら。
君はウミガメたちを自分でつけた名前で呼ぶ。いつものことだ。
「ニールセン、ジェンセン、エマ、ウミコ。元気にしてた?」
彼女の場合は『人』で数えるのが適当みたいだ。
それは他の魚の場合もいっしょで、長いトンネル水槽の中で泳ぎ回るたくさんの魚たちの全てに名前をつけている。
ソイにカサゴにエイにサメにタイに貝に……。
「メリー、ジョン、ケン、メリッサ。調子どう?」
君は心が渇いていて、だから僕も渇いている。
そしてクラゲの水槽。
クラゲには全て爵位が付けられてる。なぜだろう。いや、実はなんとなく知ってる。
青白い光で君と僕の顔が照らされる。
このクラゲの水槽のところでそういえばあの時君と出会った。
君は向こう側からのぞいていて、
僕はこちら側から見ていた。
それぞれ別の誰かと来ていた。
そしてあのとき君は、水槽越しに僕に名前をつけた。
“jellyfish”
煮え切らない男という別の意味があることは後から知った。
付き合ってから今まで僕はずっとjellyfishとして情けなく君のそばにいた。
だから彼女にとってクラゲは一段高いところに押し上げられたようだ。
「なあ、クラゲってさ、次にどっちに動くかどう決めるのかな?」と僕は聞いてみた。
「ずっと雨が降ってるのよ、だから誰かの方へ動くのよ」
「ふうん」
少し想像してみた。
海の中で雨に降られた僕らを……。
君はまだ一度も僕の本当の名前を呼んだことはなかった。
なんで一緒にいるんだろう。
「何か飲まない?」
「そうね」
僕らは軽食コーナーに行き、ずっと回り続ける回遊魚の展示を見ながらコーラを飲んだ。
終
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