ミスターロンリー(君とヨコハマ)
港ヨコハマ、海岸通り。
ニューグランドホテルが海と向き合うように建ってる。
戦前からの面影を残している数少ないクラシックホテル。
曇りに近い晴れ。でもそのせいで逆にホテルの白が映えて見える。午後。
久しぶりに休みが合った案内役の君とともにここまでやってきた。僕はしばらくその外観に見とれてしまった。
お洒落なホールケーキみたいな美しいカーブ。
「あなた建築とかわかるの?」
君は僕の答えも待たずにすたすたと先に行ってしまって、足踏みして待っている。派手な蛍光色の春コートだからすごく目立っている。
僕は駆け足で追いつく。建築のことはまるでわからない。
「ここが入り口、さあ、入った、入った」とそこで君。
「君んちかよ」
「おホホ」
入るとすぐに青くて広い階段が静かな波みたいに二階までのびていた。
「ウェディングショットで有名な階段よ」と君が解説してくれる。
「そこのドレス借りて君の撮ろうか」
「いやよ」
君は大げさに首を振って階段を上って、途中で一旦止まると、少し振り返りぎみに遠くを見てそれっぽいポージングをしたあとで、一人で笑っていた。
そのまま二人で2階へ。
ヨコハマ家具で統一されたホテルのところどころには外国人客向けのフジヤマ的な装飾も見られる。
僕らはロビーのソファに腰を下ろしてヨコハマの海を眺めた。
マッカーサーが、ベーブルースが、このホテルから眺めたのと同じ海を。
僕はずっと眺めていられる。
「男のロマンって疲れるわ」君は膝の上にきちんと手をそろえてのせて言った。
僕は間投詞のなかで一番丁度いいのを使ってそれに答えた。
「ねえ、お船に乗りましょ」
君はそう言うと、勢いよくソファから立ち上がった。
◇ ◇ ◇ ◇
僕らは船乗り場へ行くためにニューグランドホテルをあとにした。
海岸通を海側へ渡って山下公園に入って、途中で振り返った。
ニューグランドホテルは海をまっすぐ見ていた。その印象が強かった。
僕はそういうのはずっと眺めていられる。
君はまたしてもすたすたと先に行って、チケット売り場のおばさんと何か話している。
僕がそこまでたどり着くと、君はマリーンシャトルのチケットを二枚持ってた。
どちらかにジョーカーが隠れてるみたいに僕の前に差し出して、僕にジョーカーを引かせた仕草ではしゃいでいた。
乗船時間まで少し待った。
一番前に並ぶつもりもなかったけど、僕らが並ぶと、何組かの人たちがあとに並びだした。
「私って、人を呼んでしまうの、昔から、おホホ」
君は腰に手を当てる決めのポーズでそう言って口元に手を持っていく。
マリーンシャトルの隣のシーバスの船長さんが屋根の上に上って屋根の上をデッキブラシでゴシゴシやって、それで降りてから今度は歯ブラシで自分の歯を磨いていた。
「お時間になりましたのでどうぞ」
係員さんが僕らの前で手を広げて、僕らは歩き出した。
乗り込むときは僕は右足からで、君は左足からだった。
「せーの」で行かないトラップを互いに掛け合って、微笑ましいなにかがつくれた。
「どこに座ってもいいの?」
「そうみたいね」
「ここでいいかい?」
「よくってよ」
君は座るとすぐにメニューを手にとってビールのところ指で指した。
僕は窓側で、隣のシーバスに乗り込んだ子供を見ていた。じっと見ている僕に少し照れながらその子供が手を振ってきて、僕はそれに応えた。
船が陸を離れた。客室では船長帽の船長のあいさつがあった。
そのころには雲間から海に神話性の光が差し込み始めた。
思ったより揺れがなくて、海の上を滑ってる感じだった。
「お写真をおとりしましょうか」と女性乗務員が僕らのところへ回ってきてくれた。
僕らは顔をあわせてから微笑んで曖昧に応えた。まだちゃんとした恋人同士になる前だった。
「あの船おっきいですね」と僕は港に停泊中の巨大な客船を指で指して聞いた。
「ロマンティックオーシャン号でございます。全長がおよそ300メートルございます。あさって、89回目の世界一周に向けて出発する予定になっております」
「世界一周ですか……」
「はい、世界一周でございます」
船内にジェットストリームみたいにミスターロンリーが流れた。
僕はあの船に乗り込んでって考え始めたら止まらなくなった。
少し疲れてるのかもしれない。
海鳥がニ羽、マリーンシャトルの周りだけをずっと飛んでいた。タグボートが力強く僕らの船を追い抜いていった。
海はきらめいていた。港湾作業用の高さ100メートルの通称赤いキリンがいくつも見えた。
ひとつひとつの景色のその後ろは結局は空か海だ。
気づいたら君はビール二つ手に戻ってくる事だった。
「おまたせ」
「あ、ありがと」
僕は君が手に持ったふたつのビールのうち君が引かせたがってるジョーカーのほうを選んで飲んだ。
ベイブリッジの下をくぐって、さらに景色は洋洋となった。陸地にいるよりは海の上のほうがなぜか放り出された感じがしなかった。
「うまいな、やっぱ」
「おホホ」
景色の空と海しかないほうを僕らはずっと眺めていた。
「僕らだけのどこかに繋がってるかな」
「おいしいビールがある国だといいわ」
君はいつの間にか船長帽をかぶっていた。そして風を受けてビールのおかわりを買いに行った。
海は先ほどにもましてきらめいていた。海の上を滑っているみたいだった。
何回目かのミスターロンリーが終わって、ヨコハマが近づいてきてるのが見えた。
終
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