気になる後輩〜忘れられないkiss|短篇小説
冬の色をまとうコートの後ろ姿。
何かを後ろに置いてゆくように、肩で人の間をすり抜けながら、遠くに見えなくなる…。
昔の会社の後輩かと思った。
雑踏で立ち止まることも出来ないまま、背恰好や雰囲気が似ていたその人を、知南は思わず目で追っていた。
刹那、記憶が過去に遡る――
✢✢✢
知南は営業補佐的な仕事で、男性社員に混じって働くことが多かった。僕ではないけれど、全然女扱いされない。良くてきょうだいの末っ子みたいな扱い。それが楽で、居心地が良かった。
ある日。展示会場のフロアは、普段は倉庫代わりに使っていて、透明な袋に入った商品の服の山があった。アパレルメーカーの仕事は、華やかなようで、案外地味な作業が多い。
入れ替わり立ち替わり営業部の面々が仕事をしに来るけれど、その時はひとつ下の後輩と二人。広い空間の中で、洋服をダンボールに詰め、伝票合わせをしていた。
FMラジオの音楽が流れて、無機質な沈黙になるのを埋める。
後輩は鼻歌まじりで肩の力が抜けているようでも、必要なタスクをてきぱきとこなしながら立ち働いていた。仕事が出来るタイプだ。
後輩には彼女がいる。
美人らしい、と誰かから聞いた。
知南の会社は8割以上、誰かと付き合っているか、既婚者なのだ。
知南も社外に恋人がいる。
けれど、何故か鼻歌を歌っているその後輩といる時だけ、微妙な気分になる。
〈ちょっとした違和感〉と言っていいのかもしれない。二人でいる時に限って、引っかかるような会話をしてくるのだ。
たとえば知南がチョーカーとお揃いの、シンプルなシルバーのブレスレットを手首に巻いていると、後輩が言う。
「斎藤さん、そのシルバーの、
僕に下さいよ」
自信を持った口調で、半分もらうことが決まっているように言う。
日焼けした後輩には、似合わないこともない。
男性は会社にアクセサリー類を着けないから、プライベートで使うということになる。
(――いや。プライベートにお揃いのデザインを着けることになったら、おかしいでしょう?)
彼女でもないのに、と最後に付け加えたくなることを、まるで自分の所有物かのように堂々と言うからどぎまぎするのだ。
どぎまぎするのがかえっておかしい気がして、もっとぎこちなくなる。
✢✢✢
金曜日の夜。仕事帰り、知南はいつもの5、6人で憂さ晴らしに飲みに出かけた。1ヶ月に1、2回のルーティンで、誰かが集合しようと声を掛ける。
既婚者を含めた35歳くらいまでのグループだ。夜の街を歩いていても、スーツの着こなしがやっぱり普通のサラリーマンと違い、ひと目でファッション関係者と分かる。この街には、そんな人が多い。見た目はスマートだけれど、仕事を離れると部活のようだ。
1軒めは覚えている。
独特のカラフルなネオンが輝く中華街の行きつけの店で、玉子の皮の春巻や海老チリ炒め、炒飯などをみんなで分けて食べた。知南は桂花陳酒を飲み、男性陣はビールや燗をした紹興酒を飲んでいた。
2軒めは、高架下を通り抜けて神社のほうへ上がった。神社をぐるりと廻るあたりは、飲める店がたくさん存在する。路地に入るほど、地下に潜るほどディープな世界がある。
そのときは、手作りの小ぶりなピザが美味しい店に入った。夜が更けた街では同業者が多いので、話す内容を選ばないといけない。でも知南たちは、普通に楽しみたいだけで、会社や仕事の愚痴など話さないから平気だった。
―――
毎回飲み会に来るわけではない。
その後輩は、メンバーと一緒に飲みに来るとき、とくに2次会は、座席を知南の近く、向かい側くらいに座る。ほぼ、毎回。
5、6人で座って飲食しながら歓談するのだが、油断しているとずっと見つめられている。
最初はまた、気の所為だと無視した。
でも、話にふたりとも適宜加わっていながら、後輩の視線からなかなか逃れられない。
指摘することも出来ないし、戸惑うしかなかった。
(―――何故?
彼女が、いるんでしょう?)
・・・
「ーーー斎藤さん。
そのお酒、味見させて下さいよ」
みんなの会話の合間に紛れて、後輩がねだってくる。そういうことにも慣れていて、何事もないように、さり気なく言う。
「え、でも・・・」
知南は見つめられていた余韻で、居た堪《たま》れなくなっている。
「いいから、いいから、交換」
ほがらかに微笑って
露のついた自分のロンググラスを、
ウッドテーブルの上で押し出した。
器用そうな、思いの外長い指が知南のグラスを掴んだ。
(―――もう、良いわ。
好きにして・・・)
知南は酔いも深くなって、殆ど相手任せになっていた。
視点が合わなくなりつつ、後輩のグラスの口が当たっていたあたりを避けるように回して、お酒を飲んだ。
味もよく分からなかった。
睨むように上目遣いで後輩を見ると、ちょっとからかいの混じった笑顔を見せながら、知南と同じ呑み口でグラスをあけた・・・
(間接キス・・・・)
ぼんやり霞んだ頭で、そんな言葉が浮かんだ・・・
―――
・・・そこからがよく分からないのだ。
カラオケに行ったのか、別の店に行ったのか―――
はしごするうち、不覚にも眠ってしまったらしい。
ふと目を開けると、車に乗っていた。
後部座席。最初はいつものタクシーだと思った。
でも、様子が違う。景色も見覚えがない。
(・・・え?此処・・・)
瞼を無理やり開けて外を見た。
身体も意識も怠すぎて働かない。
大きなマンションが横に並んで建つ、グラウンドぐらい大きな駐車場が近づいてきた。
街から結構離れているらしく、耳がおかしくなりそうなくらい静かだ。
後輩の車の中だった。
ハンドルを器用に切って、後輩は車を停めた。
「―――ちょっと、待ってて下さい」
いつもとは違う、夜中に話すときの低く大人びた声。
後輩が運転席からずれて車から離れた。
知南だけ乗ってきたようだった。
ぼんやり霞んだ視界から、遠く消えてゆく姿を細目でただ見送った。
眠すぎて、頭が働いていなかった。
後で考えると、後輩はマンションの自宅へ戻ったのだ。知南のほうは、怠さに状況把握しきれないまま、車内で待ち続けた。
どれくらい待ったのだろう?
(―――待っている・・?何故・・・)
疑問が酔いの合間にふわふわと浮かんだ。
永遠に戻ってこないような時間が過ぎて、また眠気が襲い、知南の目が塞がっていった・・・
―――
次に目覚めたとき。
知南は後輩に肩を揺さぶられていた。
はっと目を開けると、後輩の顔がふわっと覆い被さってくるように近くにあった。
「・・・・」
「斎藤さん・・・」
はい、と答えそうになって声が出なかった。後輩と自分の目が揺るぎ無く合っていた。
―――たぶん、暫く、見つめ合ったあと。
後輩の顔が・・・くしゃっと崩れ、
優しいいつもの笑顔になった。
「・・・帰りましょっか・・・」
そこからまた後輩は車に戻り、知南の家まで送ってくれた。
知南はやはり後部座席だった。
ふたりとも何も喋らなかった。
おそらく・・・また、知南が眠れるように、気遣ってくれたのもあるだろう。
―――
下界とも言えそうな、知南の家に着いて。
「じゃ、斎藤さん、お疲れ・・・」
後輩が車から出て、いつもの軽い調子で笑顔で見送ってくれた。
「有難う・・・お休みなさい」
少しぎこちなさを感じながら、車を降りた。
(・・・何故こんなに、彼氏みたいな感覚があるんだろう―――)
知南はまた違和感を甦らせながら、
夢の中のような覚束ない足取りで家に帰った。
✢✢✢
その週明け。
知南は朝の挨拶を交わしながら出勤し、
いつもの朝礼を済ませ、
いつもの自分のデスクに座り、
いつもの仕事を始めた。
何事も普段どおり歯車が回っているし、
飲みに行った誰も、ひとことも金曜の話をせず自分の仕事をこなしていた。知南だけがまだ、違和感を残していた。
後輩本人は、こちらを見ることもなく、周囲と社交的に会話しながら、デスクで外勤の準備をしていた。
声をかけて送ってくれた礼を言おうかと思ったけれど、何となく気が引けて出来なかった。
(やっぱり・・・)
向こうにも、何てことないことなんだ、と知南は思った。
(お互いに相手がいるんだし、変に振る舞わなくて良いんだよね、
―――普通に飲みに行って、普通に送ってくれたんだよね・・・)
もう、気の所為だから忘れてしまおう、とデスクのファイルを片付け始めた。
飲んでいた街から後輩の家が、知南の家より離れ過ぎていることも、黙殺しようと思った―――。
✢✢✢
それから。もうすべてが水に流れたような数年後。
知南は営業部から企画部へ異動した。専門知識は無かったが、社長命令でアクセサリーデザイナーとして働いた。
慣れてきたかな、と思った頃、展示会でのブティックへの対応を見られたのか、今度は外勤営業をすることになった。
新規開拓は面白かったけれど、数学が苦手で損益計算が出来ないのが致命的だった。
車の免許が無いので電車移動。担当地域の端から端まで回って、終電まで働いて、すでに付き合っていた彼と暮らしていたのに家事も出来なくて、もう辞めるしかない、と思った。
社長は知南に残れと言ったけれど―――恐らく新規開拓の実績を見たのだと思う―――ぼろぼろになっていたので、断った。
送別会は、思いのほかたくさんの社員が集まった。もちろん仲の良いメンバーも。延々と5次会くらいまでして、色んな人とお酒を交わしたので、また知南は眠たくなっていた。
解散となり、タクシーに乗った。後部座席は、知南を真ん中にして何人かが身体を詰めて座っていた。
右のすぐ側には、入れ替わりで企画部になったあの後輩がいた。キャリアを重ねて、企画部で役職が付いたせいか、落ち着いた風格のようなものがあった。
(部署が違うのに、こんな最後まで残って送ってくれるんだ・・・)
意外に思いながら顔を見ていた。すると、後輩は知南に言った。
置き土産のように。
あの独特の口調と、今度は優しく包み込むように笑った顔で。
「―――斎藤さん。
これからは、あんまり酔っちゃ駄目ですよ。危ないから・・・」
それはタクシーの中で何人かいるところで、
知南と後輩しか分からないことば、のように聞こえた。
(こんなぎりぎりに、そんなこと言うなんて・・・)
そのときの知南は、もう恋人とうまくいかなくなっていた。
また、後輩と知南は、揺るぎ無く見つめ合っていた。
「うん・・・わかった」
知南はそれ以上は何も言えず、何かを諦めたように、そっと俯向いた。
この一瞬を、忘れないようにしよう
と思ったのは・・・
もしかしたら、どこかでずっと、
後輩に惹かれていたのかもしれなかった・・・
✠ Fin✠
▶MOND GROSSO/ラビリンス
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シロクマ文芸部の課題「冬の色」にインスパイアされて執筆しました。
初めて短編小説にトライしてみました。
出来るだけ、小説風になるよう自分なりに書きましたが、何度も何度も修正しました。
お目怠いかと思いますがご容赦下さい。
小牧幸助様のシロクマ文芸部に応募しております。
よろしくお願いいたします。
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また、次の記事でお会いしましょう!
🌟I am little noter.🌟
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