ä

ここだけは、何者にもなりたくない

ä

ここだけは、何者にもなりたくない

最近の記事

  • 固定された記事

私なりの自己肯定感

最近何となく、人と接する機会は沢山あるのにいつも距離があるように感じていた。1枚壁があるような、会話してるはずなのに第三者視点、高みの見物感があるというか。 心の繋がりが感じられなかった。 人との会話を心から楽しめない自分がいた。 傍から見たらただスカしてる奴だったと思う。 一緒にいたい気持ちはあった。一緒にいて楽しかったし楽だったし、面白かった。いたい気持ちはあるけれど、なんとなく作業というか義務感みたいなものも少しあったような。 高校までは、友達と心が動くコミュニケ

    • 立ち止まれない私を馬鹿と言って

      走って、走って、思うがままに走り続けて、ふと立ち止まった。 走り続けた私の足と、体は、とっくに限界だったのかもしれない。 「思いつくままに動ける今が幸せなのよ」と言い聞かせて走り続けていたが、ふと我に返ると自分は今どこにいるのか、わからなかった。何のために走っていたのかも、この先ずっと走り続けていいのかも、分からなかった。 未来を考えることは愚かだ。今の連続である人生を、未来に馳せる時間があるのなら、今を磨く努力、今を最高潮に楽しくさせる努力をするべきだ。 そんな信念を元

      • 明日死ぬかのように

        やりたいことをやろうと決めた。したいようにしようと決めた。 世間の目、人の意見、そんな曖昧なものに雁字搦めになって生きていた私。自分の感情、感覚よりも、外側の曖昧なものを信じていた。所謂他人軸というやつ、なのかな。 感情を素直に感じるのが怖かった。 こんなこと思っていいの?こんなこと思う人はいけないと、いい人だったらこう思うはずと、誰かが言っていたから。 感覚を信じて行動するのが怖かった。 こんなことしていいの?成功するためにはこれはしてはいけなくて、代わりにこうしなき

        • そのままでいいんだよ

          人は感情の共有をしなくても、コミュニケーションをとることは可能なのだと知った。 しかしそれはきっとうわべの繋がりであり、それでは真に心で繋がり合うことは出来ないということも同時に思い知らされた。心を閉ざしたコミュニケーションだから。 何を考えているのか分からないと思われてしまうだとか、本当の意味で人から好かれないだとか、怖いと思われてしまうことに繋がるのだと思う。 私はその人らしさが掴めない人、心を閉ざした人には近づきづらいというか、どう接したらいいのか分からなくて関わる

        • 固定された記事

        私なりの自己肯定感

          底なしの向上心は自己否定の賜物だった

          完璧になったら、愛されると思った。 劣ってるところが無くなれば、愛されると思った。 私が私だからいけないんだと、私がもっと人から評価される素晴らしい人間になればいいんだと。 だから沢山努力した、"私"の欲望や感情を抑圧して、世間的に評価されている人たちの真似をした。愛されている人たちの真似をした。 向上心が、私の命の手網だった。手が血だらけになろうとも、その手綱を手放すことは出来なかった。 完璧になったら愛されると思えば、現実を見なくて済むから。 愛されてない現実を。大

          底なしの向上心は自己否定の賜物だった

          綺麗に見えなくても愛してよ

          今の私のままで果たして愛されるのか、もっと優れないと愛される価値がないのでは?もっと愛しやすい女に、愛し甲斐のある女に、人間に、なる必要があるのでは無いか? その気持ちと裏腹に、ありのままを愛してと叫ぶ自分もいて、けれど私はその声を無視して愛しやすそうな自分を演じるから矛盾と歪みが起きて、私の心は限界までひずんでしまった。 私は壊れた。 ありのままを許せない自分とありのままを愛して欲しい自分の矛盾は、あまりにも私には負荷が大きすぎる。 誰かに愛されたら解決する問題では無

          綺麗に見えなくても愛してよ

          余すこと無く愛を

          かつての私は傍にある目に見えない愛を沢山取りこぼしていることに気づかず、「もっともっと」とずっと愛に飢えていた 今は自分というものを取り戻して、自分の心地良さを追求し続けた結果、愛は私の傍にずっとあって、私が私として生きれているのは紛れもなくその愛のおかげだったと気づけた かつての欠乏感が嘘のように、今は沢山の人の沢山の種類の愛に満たされて生きている、そう胸を張って言えるようになった 沢山の人の愛に気づける審美眼は、今の私にとって大きな宝物になった だからもう、私、愛を求

          余すこと無く愛を

          縁の切れ目

          これまで自分を大切に出来ていなかった私は、傷つくこと辛いことを"からかい"であると認識して軽く流すことで自分を守った。 これくらい仕方ない、こんな私だもの。あとは本気で悲しんだり落ち込んで「それくらいで泣くなよ」と言われた過去も大いに影響しているかもしれない。 私は、その時"傷つくこと悲しむこと落ち込むことを表に出してはいけない、それが誰かを困らせてしまう"と学んだ。だから本気にした自分が悪いし、なるべくなるべく軽く自分の気持ちを扱うようになったと思う。 そして作り笑いが増

          縁の切れ目

          誰かに分かって貰えなくてもいいって思えたのは

          そもそも自分が自分だから悪いんだって思考だったから、自分の価値観なんて全部信じられなかったし、全部まっさらにして全部抑圧して成功者が言う価値観をインストールしてしまえば私の人生が変わるって本気で思ってた 私が誰かに分かってもらわなくてもいいって思えるようになってきたのは、「誰かは私を変えてくれない」という現実を味わったからだったかもしれない 人生の正解は、この世界にいる人間の数だけ存在する 今まで、私はこう考えるけど本当に正しいんだろうか?周りにそんな人がいないとさらに

          誰かに分かって貰えなくてもいいって思えたのは

          綺麗事では終わらせたくない

          終わり良ければ全て良し、なんて言葉もあるけれど 私にはまだ少し良さが分かっていない。 例えば何かのプロジェクトで、途中で色んな大変なトラブルが続発して本当に苦労したけれどちゃんと成功してよかった。終わり良ければ全て良しだね。 こういうのは分かる。本当にそうだと思うし、私も何度も同じ経験をしたことがあるから。 その当人が「この辛かった経験は私のためになった、よかった。」って言えた時にその言葉をかけるのはいいことだと思うの。 だけど、まだまだ辛くて渦中にいる人に、「その経験

          綺麗事では終わらせたくない

          私は私であればいい

          心のつながりが無くても人とある程度仲良くなるのが上手に見えたのは、他人の行動を見てただ真似していただけだからなんだと思う。 今思えばそれを的確に表していたのが後輩からの「先輩は友達止まりになる人」という言葉。 ばれていたんだな、実は心を閉ざしていたこと。 コミュ力が高くてフレンドリーな人に憧れていたから(というか人見知りの自分を全否定していたから)、自分を押し殺して他人の真似をしてたらそれっぽいことが出来てしまったに過ぎない。 仲いい人は多かったけれど、誰のことも信じてい

          私は私であればいい

          正解は自分で出すから、ただ聞いて欲しいんだ

          1年ぶりに集まった高校の小さい同窓会、隣で煙草を吸い始めててなんか少し悲しかった。 私は煙草が嫌いなんじゃなくて、 喫煙の居酒屋だからって、やめて欲しいって直接言っていいか分からないから分かりやすく嫌な顔してる友達の傍で、普通に吸い始めちゃうようなモラルのない人間が煙草を吸うことが嫌いだと思うタイプの人間だったらしい。 大学で自分と似たような人が集まるコミュニティだけで息をしていると、なんとなく世間は自分と似たような存在だけで出来上がっているんだと勘違いしてしまうんだと気

          正解は自分で出すから、ただ聞いて欲しいんだ

          人たらしの男友達から学んだ人間関係において大切なこと

          私の男友達(高校の後輩)は凄く凄くモテる。 今年だけで6人から告白されたらしい。(何事!) どんなチート使ってるねん!ってことで、 私の周りのモテないと嘆いている男友達と、友達止まり代表女の私との比較をしつつ(みんな可哀想なことしてごめん、私もごめん) その実態を分析してみたところ、恋愛を越えて人間関係を育む上でとても大切なことを教えて貰ったので、忘れないうちに記録しておきたいと思う。 ①知らない人もみんな友達 彼は人見知りをしないタイプで、人との壁がかなり薄く、警戒心

          人たらしの男友達から学んだ人間関係において大切なこと

          当たり前だったことが出来なくなる瞬間

          今まで普通に出来てたことが出来なくなる瞬間を最近よく迎える。 いや、どちらかというと今まで少し我慢してたことが一気に我慢出来なくなる体になったというか。 今まで色々思うところはあれど、悪い人じゃないし、私に良くしてくれるし、ある程度の距離をとって関われば何の問題もないやと思っていた友人達と尽く合わなくなった。というか私の体が拒絶するようになった。 その人たちの何もかもが嫌になって、話を聞いているだけでイライラが止まらなくなって、声を聞くだけでモヤッとした気持ちが湧くよう

          当たり前だったことが出来なくなる瞬間

          自分と向き合うこと

          あまりにもこれまでの人生、自分というものを蔑ろにしすぎてしまって。 自分について何も分からなかった。 だから、自分を見つけたいと思った。 本当の意味で自分が喜ぶ、自分が納得する、自分が満足する人生を生きたいと思った。 それで始めたのが、 ・感情を伝えること ・いい気持ち、嫌な気持ちになることを記録すること 感情を伝えること 色んな友人と時間を過ごす中で、私が何かをしてあげた時に「やったあ、嬉しい!ありがとう!」と言ってくれたり、帰ろうとした時に「えーもう帰っちゃうの?

          自分と向き合うこと

          自分が持ち合わせた宝物

          メンタルが弱くなってくると、何か別のもの、何か別の人間になりたくなる。 自分から逃げたくなる、全く違う存在になりたくなる。 もっと強い自分、もっと人気な自分、もっと羨ましがられる自分、もっと好かれる自分、もっと優しい自分、そんなのばかり見てとにかく今の自分から逃げたくなる。 力がないと思いたくない、愛されていないと信じたくない、もっとより良い自分になればこの現状は良くなると信じたい。 だからいらないもの、いらない情報、欲しくないものまで全部受け入れてしまいそうになる。こ

          自分が持ち合わせた宝物