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タイムトラベルの負の側面に迫った野心作『時間旅行者のキャンディボックス』

タイムトラベル✕心理的アプローチ

 舞台は時間旅行が可能になった世界、一人の老婆が殺された。どう見ても他殺なのに警察は身元も発表しないし、捜査が進む様子もない。殺されたのは誰なのか?そして犯人は?
 実はこの殺人事件、時間旅行が絡んだ特殊な事件故に一般市民には一切情報が出てこない案件なのである。事件は捜査されるけど、それは警察ではなく時間旅行を管理するコンクレーヴという機関の人間しか知りえない情報だ。この世界、タイムトラベラーは治外法権なのだ。
 死体の第一発見者であるオデットは、自ら殺人事件の謎をとくためコンクレーヴに潜入することを決意する。しかし、そこで待っていたのは人間の常識を揺さぶるどころか、あざ笑うような苛烈な経験だった。
 オデットは無事に事件を解決することが出来るのか?時間旅行が可能になったとき、人は何を思うのか?
 SFの鉄板テーマに心理療法士の資格をもつ著者が、新たなアプローチで迫るミステリ仕立てのタイムトラベル、『時間旅行者のキャンディボックス』の登場だ。

この発想はなかった!と驚くタイムトラベルもの

 上記が『時間旅行者のキャンディボックス』のあらすじである。
 SFの鉄板ネタの一つであるタイムトラベルといえば、数多の名作傑作がございます。夏への扉』、『犬は勘定に入れません』とかそりゃあもう沢山。
 が、私の中ではタイムトラベルというジャンルにおいて長らくH・G・ウェルズの『タイムマシン』とロバート・A・ハイラインの『輪廻の蛇』を越えるものはなかった。
 なにせ人生で初めて本て面白い!と初めて思ったのがウェルズの『タイムマシン』だったために、却ってタイムトラベルものに手を出すことすらなくなってしまった感すらある。
 それでもバオ・シューの『時間の王』やコニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』は読んだりしたのだけども。やはり「初恋」の相手というか、自分にとっての聖典でもある『タイムマシン』以上の衝撃を受ける作品はなかった。
 そこでこの本に出会ったのである。もっとも、タイムトラベルSFよりも主人公が、女性と恋に落ちるレズビアンものとして興味を惹かれたのだ。ところが、読み出すといい意味で当初の目的も忘れて一気読み。
 こんな視点がタイムトラベルものにあったなんて!不覚、参りましたー!と誰にともなくシャッポを脱いでひれ伏したくなった。
 
 それはこの本のテーマである、時間旅行が人に与える影響という視点。
 人間は不可逆な時間の中を移動していく、だからどんな出来事も一度しか経験出来ないし、修正不能だ。ところが、時間旅行はそうじゃない。時間を前に後ろにと移動していく。これは本来の人間にはない能力であり、物理運動だ。
 物理的な異常行動である時間旅行を繰り返すとき、人間の精神は果たしてそれに耐えられるのか?という思考実験なのである。
 いや、面白いの、これが。最近再読したのだけれども、時間旅行を繰り返すことの負の側面が、身体的な面から語られてるのが説得力あって楽しい。
 例えば、晴れた日の朝の9時に時間旅行に出かけたとしよう。目的地は一年後の同じ日、天気は晴れで、そこで半日過ごして元の時間へと帰還する。
 そうすると、元の世界での時間は動いてないからまだ9時だ、なのにタイムトラベラーの身体は余計に半日分の時間を経験し、多めに日光を浴びることになる。これによって体内時計が狂い、精神状態に大きな影響を与えるのだ。

 あれ、これってどこかで聞いたことある説明じゃない?って思うなら正解、この副作用は時差ボケに近いのだ。だから時間旅行をすると、タイムトラベラーは活動時間が地球の24周期から大きくずれて、最終的に躁鬱病などを発症するリスクが高まるという仕組みなのだ。
 これを読んだとき、すごいなぁ!って感動してしまった。仮想の経験でしかない時間旅行が一気に身近に感じられ、一気に目が覚める気がした。

こうして時間旅行は可能になった。時間旅行管理機関、コンクレーヴを巡る4人の女性

 作品の中に登場する時間旅行を管理する特殊法人、コンクレーヴには数多くのタイムトラベラーが登場する。しかし、彼ら彼女らの存在はどこか浮世離れしてて不気味だ。
 真っ昼間だというのに、会社内のバーでどんちゃん騒ぎを繰り広げ、誰も彼もがあけすけな下ネタと死をテーマにしたジョークを競い合う。身内だけの独自なルールを基準にし、社会一般のルールは気にしない。
 端的に言うと自分たちはタイムトラベラーという特権意識を身にまとった、自己愛が強い集団なのである。
 本作のメインキャラの一人であるオデットが肌身に感じる、タイムトラベラーという人種の異常さはどこから来るのか。それは物理的な影響と、組織を運営するメンバーの思想に由来する。
 この作品、殺人事件の謎もだが、そもそもどうやってこの世界で時間旅行が可能になったのかという歴史も描かれている。ことの起こりは四人の女性科学者達のグループだ。
 リーダーであり、資金調達を担当する切れ者のマーガレット、純粋な科学研究を追求するルシール、芸術家肌のグレース、天真爛漫なバーバラ。
 この四人、固い絆で結ばれたグループなのだが、ある事件によってそれぞれ道を違えることになる。この四人の人生が実は、コンクレーヴの成り立ちに大きく関わっているのである。
 読者は、オデットの殺人事件の捜査とともに、もう二人のメインキャラを通じてこの世界の時間旅行文化と歴史を体験していく。

死すら超越するタイムトラベラーの世界へようこそ、悪夢のようなコンクレーヴ文化

 時間旅行は本来一方通行な時間の流れを無視して、前に後ろへと動く運動である。これにより、タイムトラベラーは普通の人間が絶対し得ない経験をすることになる。それは、死との関わり方だ。
 タイムトラベラーにとっては、どんな人物もある時点では死んでいて、過去のある時点では生きている。
 死に別れた人でも結局、過去に旅をすればまた会える。そうなったら死なんて気にしなくてもよくない?って、感覚が変容するのだ。
 ゲームの難しい画面でやばいって焦りつつも残基があるから、まだ大丈夫って安心するのをリアルに当て嵌めるヤバさとでもいうか。
 結果として、作中に登場するタイムトラベラー達は誰もが死を軽視し、どんな社会通念も重要視しない、肥大化した自己を抱えていくことになる。

 これが恐ろしくとも、そうなってしまう過程が描かれるがゆえに説得力があるんだわ。あまりに膨大なチャンスと変化を目の当たりにして、行く先々でルールが変わっていけば確実なものが何もない。
 しかも、時間旅行が限られた人間にしか許されない行為なために悩みも共有しずらい。人間性歪むよ、どんなに健康的な人であっても。
 おまけにコンクレーヴには排他的なタイムトラベラー文化とでも言う仕組みがあり、徹底して人間性が損なわれる仕組みができあがっている。
 例えば、新人が先輩に課せられる研修である「死の天使」。これは、ある時点に時間旅行して、道行く人にあなたの大事な人がもうじき死ぬよと伝えるのだ。
 伝えられた相手はパニックになり、やがて本当に愛する者の死を体験する。こんな他人の一生を滅茶苦茶にするメッセンジャーなんてやりたくないって拒否しても、先輩からはこれをしないとお前は一人前になれないぞと同調圧力をかけられる。
 しかも、これをパスすれば次の試験が待っている。例えば、自分の死体と対面するとか_こんな具合に、徹底的に暖かな人間性が奪われる場所がコンクレーヴなのである。

 どうです、なかなか絶望的じゃないですか。こんな事をしてまで、タイムトラベルしてみたい?って背筋が寒くなってくる。しかも、この文化を作ったのがコンクレーヴの創始者の思想によるのが恐ろしい。
 どうやって一人の行き過ぎた行動が、集団の狂気を引き起こすのかもちゃんと作中描かれてて、ひぇえええーー!ってなりながら先へと引き込まれてしまうのだ。

健康的なタイムトラベラーとの付き合い方と、今後の時間旅行について

 さて散々タイムトラベラーの話をしてきたのだけれど、実はこの本では時間旅行をしない人々がメインとなって物語が描かれている。普通この手の作品なら、タイムトラベラー側で話が展開するのに、面白い視点だと思う。
 タイムトラベルを繰り返して大事件を回避したり、出会いと別れを惜しんだりと、当事者目線の苦悩や楽しさを味合うのが大半だと思う。
 そこに、あえて時間旅行をする人々がいる社会の住人っていう視点で語るのが新鮮だ。時間旅行をする人たちとの感覚の違いに苦しんだり、人生ひっかき回されて嫌悪感を持ったりと。
 時間旅行を巡るカルチャーショックの話として、この話は成立しているのだ。いい面も悪い面もあるけれど、そこまでしてあなたはタイムトラベラーでいたい?という問いかけに、登場人物たちはどう答えるのか。
 軽いエンタメに見えて、底に仕組まれたのは人間性とは何かを問う真面目な視点なのである。いやーもう、脱帽です!完璧です、やっぱりすごい作品だと思う。
 
 心理的なアプローチもさることながら、ミステリとしても時間旅行という軸を活かして綿密に描かれてて滅茶苦茶楽しい一冊です。読後、一気にパズルが完成する快感をぜひ味わって見て欲しい。

 著者のケイト・マスカレナスは心理療法士の資格を持つ。ドール製作者でもあり、HPには自身の作品を再現した作品も紹介されている。HPには『時間旅行者のキャンディボックス』のシーンを再現した作品もあったよ!
 
(ところで原題はThe Psychology of Time Travel、『時間旅行の心理学』ですごい直球!邦題の『時間旅行者のキャンディボックス』だと、いい感じに謎めいてて翻訳者さんと出版社のセンスの良さを感じる。)

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