見出し画像

はなこです(休学しました)

はなこよ、
やっと書き始めることができたね。


ずっと、今の思いやこの数年間で感じてきたことをまとめようと思いつつ、なかなか始められなかったnote。人目を気にしすぎる部分がまだまだ私を覆いつくしているから、思ったことを素直に残せていけるのか不安だけど、ごたごた言わずに少しずつ。ここ数か月は自分や家族、大切な人たちのためだけに頑張って書きたいと思ってます。(あまり社会に出すような内容・文面じゃないときもある気がするけど、今はそれでいい。)

はじめは内容はうまくまとまらないかもしれませんが、とにかく投稿することを第一の目標にして頑張ります。

今のわたし

まず、今の私がどこにいるかというと~
長野県木曽郡王滝村にいます!!
場所はこんな感じ⇩(御嶽山のふもとに位置し、alwaysほぼ孤立地域)

王滝村HP


スーパーもコンビニもレストランも信号もない、そんな場所です。

そんな一見何もない王滝村に、大学を1年休学し住んでみることにしたわけなのですが、いろいろな感情や考えがありつつ、「やって後悔だ!」と最終的にはやっぱり私らしく勘と勢いで決めました✌

王滝村での生活ももう1か月が経ちましたが、あらためて簡単になぜこの決断をしたのかを振り返ってみます。

なぜ休学したのか

休学を決断した理由を大きく分けたらたぶんこの二つ。
一つ目は一旦立ち止まってみたかったこと。もう一つは王滝村に住んでみたかったこと。

一つ目の「立ち止まってみたかった」ことの理由は、去年を含めた大学3年間でのたくさんの経験を踏まえてもやもやが沢山たまっていたから。
そのもやもやの中身は、主に自分の暮らしや仕事を含めた生き方に関することがほとんど全部だなと思います。

二つ目に関してはここ王滝村の暮らしに今後の私の生き方の多くのヒントがたくさん隠されている気がしたから、っていうのが理由です。

一つ目の大きな理由となった去年の出来事をはじめ、大学3年間で感じたことを下にまとめてみました。(長いです、、、)

去年のあれこれ

私にとっての2023年はすごく苦しい時間の多い1年でした。

軽くまとめてみると、私の中に生まれた大きなしこりは
①自分として生きていない感覚
②自分だけでなく、本当に大切な人のために何もできていない現実

①自分として生きていない感覚が生まれたこと
なぜその感覚が生まれたのかを超簡単にまとめると
・大学入学後の行動指針を「少しでも興味があればやってみる」に。➡地域プロジェクトやインターン・イベントへの参加などへ参加➡多くの出会いと経験をしつつ、自分に少しずつ立場が出てくる➡自分の日々のほとんどが誰かに求められることをどうにか頑張っているだけなように感じ始める➡自分のために生きていないよな~、ともやもやが積もる

こんな感じです笑

このような悩みは誰しもが持ち得るものなのもわかりつつ、昨年それらから受けるストレスや悩みで体調を崩しまくったことや、このまま人生が進んでいくことへの違和感が徐々に生まれていきました。

今までありがたいことに地域プロジェクトやインターンなどを通して、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。しかし、忙しく過ごしていたことを言い訳に、無意識に自分の心の奥底と向き合うことから逃げていたようにも感じています。
ここ数年で、自分でも自分の本当の気持ちを知ることが想像以上に難しいことを知ったことも踏まえ、人間関係から少し離れて自分と向き合う時間・自分のための時間を強制的に作ろう、と思ったことが最終的に決断した大きな一因です。

鬼無里や王滝など、たくさんの地域の人に優しくしてもらい、
色々なことを経験した。(学生だから許されることもたくさんしてしまった、、☹)

②自分だけでなく、本当に大切な人のために何もできていない現実に気づいた

これは、昨年大好きだったおばあちゃんが亡くなったことが一番のきっかけです。
物心ついてから自分の本当に身近な人(自分を形成してくれている人)を失ったのは今回が初めてでした。小さいころからおばあちゃんの話を聞くのが本当に大好きで、基本おばあちゃんの部屋に浸りっぱなし。一緒に近所を散歩したり、ゲートボールに行ったりと、とにかくよくおばあちゃんについて回っていました。

そんな大切で大好きなおばあちゃんが亡くなるまで(骨折や倒れて入院後、孤独や病気と闘っていた約半年)私はおばあちゃんに本当にしてあげたいことを何もできませんでした。その後悔が今でもずっと残っています。

去年1月の成人式の家族写真(お姉ちゃんいないやつ)デコボコファミリー。

おばあちゃんが入院を主にしていた場所は、まだコロナに対する規制が厳しく、家族でさえもなかなか対面で会うことが許されない状況が続いていました。おばあちゃんは生きがいレベルにとにかく人と話すことが大好きな人で、いくら病気で脳がぼけてしまっていてもおばあちゃんにとっていかにつらいことかを感じているにも関わらず、私はずっと書こうとしつつも手紙を届けることが一度もありませんでした。

長くなってしまったけど、おばあちゃんの死をきっかけに自分の今までの行動を振り返り、その時の感情(スマホ見たい、映画みたい、寝たいなど)でいかに自分に対しても不誠実に生きてきたかを知ることができました。

まだ自分は人間として不足してばかりだけど、この人生で少しでも大好きな人たちとの時間やつながりを大切にして歩みたい日々を歩める人間になれるように、自分と必死に向き合って努力していきます。

王滝村を選んだ理由

1年間の休学を王滝村で過ごすことに決めた理由はたくさんあります。

私は2年前から大学のプロジェクトで王滝村に定期的に訪れてきたのですが、滞在を通してここでの暮らしの一部に触れる中で、私って地球で生きているんだ!と体からビビビッとなって、ヒトという動物としてこの地球に生まれたこと自体にワクワクして思わず笑顔が止まらなくなってしまうような瞬間に何度か出会いました。(どこか生物的な感覚?)

例えば、熊に襲われる空気感のある夜に月明かりのみで散歩したり、電気ではなく火を囲んで談笑する住民たちを見たり。そのような感覚は覚えている限り、初めてだったように思います。

王滝村には街灯が少なく、夜は本当に真っ暗になる。

また、閉塞的でスーパーもないような土地だからこその「つくれるものは自分でつくる」があふれている日常にも触れ、日頃からぼんやり感じていた現代社会に飲まれている自分がだんだんと見えてくるようになりました。そして、これこそが人間にとって本当の豊かな暮らしなのではないか?という考えが強くなっていきました。(このような思考を持つこは資本主義の限界が見えている今の時代の流れもあると思うから、自分なりの思考をもっと深めたい)

火を囲んで踊ったり。

もう一つ、この村には普通の過疎地域とは違う点があったことも大きなキーです。それは、大学のプロジェクトのコーディネーターであるRext滝越の孝四郎さん明日香さんが軸となりモワモワ広がり続けている、アーティストや海外ボランティアツアーをはじめとした多様な人とのつながりがあることです。

私は大学のプロジェクト中、彼らと王滝・日本・世界の課題について日々悶々と考えて話したり、彼ら自身が資本主義から一歩足を踏み出して自分でつくる暮らしを楽しむ姿から、多くのことを学びました。もっと彼らとの日常や対話を通して、より自分が目指したい暮らし方・生き方を考えていきたいと思うようになりました。

地域おこし協力隊のアーティストの方のプロジェクトには一言では語り切れない面白さがあります。

加えて、Rext滝越が海外ボランティアツアーの受け入れをしていることにより、王滝村で世界各国の方と深い言語/異文化交流ができることも王滝村を選んだ一つのポイントになっています。
大学2年の頃から、休学してワーホリに行くことを一つの選択肢として考えていた自分にとって、本当にありがたい環境だなと思っています。✌

まとめ

なぜ休学するの?なぜ王滝村が好きなの?と聞かれても、まだまだ言語化がうまくできてない状態ですが、一旦どうにか上のようにまとめてみました。

様々な場所でインターン等させていただきつつ、就職活動を迎える中で、何かを辞めることが非常に苦手な自分の性格を知ったことや、いくらこのような暮らしがしたいとかやりたいことをやろうと思っても、気づかぬうちに日常に追われて、それを追い続けるのがなかなか難しいことだと学んだこと。

様々なことを踏まえて、今このように時間を取って王滝村の暮らしを全力で楽しむことを選ぶことに決めました。
決めたからには、全力で楽しまないと!ということで絶賛王滝生活楽しみ中です(^^)v

できればすぐにでも4月のまとめを出したいと思っています(^^ゞ

あーー本当に長くなっちゃった。
けど一旦書けてよかった。(完全自己満note)
これからも自分のためにnote記録頑張ります!読んでくれてありがとうございました!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?