マティス 自由なフォルム展
私が感じたマティス展について。
六本木の国立新美術館にて、私が絵画を出品している公募展「春陽展」があり、この機会に、同時期に行われているマティスを見てきました。
見たかったので、抱き合わせで行けてラッキー。
遠い記憶にある、夫と新婚旅行したニースで、マティス美術館を見たような見ないような…。ニースで美術館に行ったのは確かなのですが、マティスではなくシャガール美術館だったかも。
ニースでの夫の名言があって、
「この街で働いている人をまだ見ていない。みんないつ仕事してるの?」
もちろん働いている人はいるのでしょうが、そう思うくらいゆったりして、海はキラキラしていて、日差しの明るいいい街でした。
マティスはあの空気の中で過ごしていたんだということが、展示されている年譜でわかりました。
切り紙絵がメインの展示でしたので、どんなふうに作っているのかな?とじっくり眺めてみました。
マティスは、色画用紙のようなものであの切り紙絵を作っているものと勝手に思い込んでいたのですが、違うようです。
色紙に使われている紙は思ったより薄く、絵の具で色を塗ったものを切って、丁寧に台紙に貼られているようで、貼った跡がわからないくらいでした。
特徴的なあの青色もちゃんと絵の具で作っていたんだということがわかりました。出来合いの紙じゃなかったのですね。まあそうですよね。
初期のころの静物画を見ると、「ん?」と思うような絵がありました。
燭台のある静物画については、画面のど真ん中に長い蝋燭の立っている燭台がおかれているという、普通はしない構図の取り方をしているのです。
燭台が画面を2分割してしまっていて、リズムやバランスといった静物画の美しさの要素が生かされていない。
わざとなのか、それともまだ構図を学んでいなかった時の作品なのか?
小さい本の描かれている作品では、微妙にパースが狂っているような気がする。
世界的に有名な画家さんも、みんなが初めから上手な絵を描いていたわけではないのかもしれないなと思いました。しかし、そこから晩年に至る制作の過程の中で、マティスらしい、マティスしかできない、色の使い方の何とも言えないうまさや形の単純化の妙、勢いのある形などがどんどん生まれて発展していく様子が、展示を観て、少し理解できたような気がします。
後半から撮影OK!となっていたので、皆さん写真を撮りまくっていましたね。
マティスがプロデュースしたロザリオ礼拝堂の再現スペースがありました。
中に入ったとき、ずいぶん暗かったので、「?」と思いながら過ごしていると、鳥の声がし始めて、光がステンドグラスから差し込んできて、白い床に色彩の影を投影しました。
「朝になった?」と誰かがつぶやいていました。
一日の日差しの差し込み方が早回しで再現されているということか、と理解した時には、午前中の明るい光の角度がどんどん変わっていき、昼下がりから夕方のオレンジ色の光になり、だんだん暗くなってきて、燭台のろうそくの光が明るく見えるようになってきます。
素敵な演出でしたね。
若い女の子が「全部おしゃれ!」と話をしているのが聞こえました。ほんとにそう、と私も思いました。
感想を言い合いながら展示を楽しんでいるひとがたくさんいて、最近の美術館って、少し変わってきたなって思います。前よりカジュアルに、いろんな人が、固定された価値観にとらわれずに楽しめるようになった気がします。
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