待つ価値のある人
今日はいいことがあった。イヤなこともあったが、それは忘・れ・て。
今月初めころに仲たがいしたRちゃんと仲直りができた。
彼女もいろいろ大変だったんだなあということが
話し合いでわかって、納得した上でまた仲良くすることにした。
彼女のフォローを外さないでよかったと思った(*´ω`*)
もうだめだなと思ったご縁もあった。
彼女(Hさん)はわたしに表面は普通どおりに接していたけど、半年たってもわたしのフォローを未承認のまま(noteにはないシステムです)で、今日はついにコメントを無視してくれた。仲良くしたかったけどもういいや、と思った。
言わないけどわかってね、っていうのが本当に嫌い。こっちが好きになった時間を返せとは言わないが、時間を共有した分だけでいいからなぜ嫌われたのか教えてほしかった。そもそもそんなものお前に教えるほど好きじゃないってことか? ふん。
とりあえず、待つ価値のある人と待つ価値のない人はちゃんと振り分けて考えようと思った。自分が誠実に接していても相手はそうとは限らないのだと思い知った。みんなが善人じゃない。いつか好きになってもらえると信じるのは勝手だけど、相手にはその義務はない。
そして。
自分もいざと言う時に「待つ価値のある人間」に振り分けられるように丁寧に人と接しようと思った。人のふり見て我がふり直せ、だ。
人生は短いのにすれ違いは起きる。だから待ったり待たせたりすることもある。そんな時に重要なのは信頼だ。Rちゃんへの信頼があったから、今日メールで「元気?」と送って様子見をすることができたのだ。
自分がいかにも不審人物なのにいきなり信じてくれというのは難しいだろう。そんな人間こそ早めに自分の手のうちを明かして素顔を見せることが大事なのかもしれない。
わたしには、それができているだろうか?
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