メンタル疾患とメモ

 自身の心身の調子を手帳やノートで管理している方が多いと思います。私もそうです。
 特にメンタルに病を抱えている方や薬ではどうしようもない障害を持っておられる方。そんな方ほど手帳は有効な武器足り得るのですが、それ以前に【手帳やノートで調子を管理する】とどれくらい楽なのかが全くイメージできずに、メモすらか書かない人も多いと思います。
 どの疾患や障害だからメモや手帳やノートの利用者が多い少ないとは不明ですが、その手段(筆記具を用いる)がなにかに使えそうだと気がつくまでが長い道のりだと思います。

 私も当初はすぐに忘れるくせに観念奔逸で脳内が常に雑然としていてなんの纏まりもなかったのですが、あるエッセイで読んだ「ちぎったブロックメモを持ち歩き、必要な情報だけを備忘録に書き写して、不要な情報は捨てる」という一文を読んで、そんなにメモを書くのが有用なのかと流し読みしていました。
 それからすぐに双極症が悪化して観念奔逸がとどまることを知らず、頭が破裂しそうになりました。
 必要な情報と不要な情報が入り混じり、情報の選択するらできない状態でした。
 そんな時に前述の一文を思い出して、頭に浮かんだことを兎に角、紙に書き出しました。
 たったそれだけで……本当にたったそれだけで情報に圧迫されていた脳味噌が軽くなり、脳疲労や過集中で倒れることが少なくなりました。

 要するにブレインダンプですね。

 書けば書くほど頭が軽くなる。楽になる。
 しかも書いた事柄は紙に書き出した事実として残るので読み返して情報としての重要度を推し量ることができる。
 必要なら残せばいい。不要なら捨てればいい。

 創作のためのネタ帳は手元においていて、創作に使えそうなものだけを汲み取って書き写すという知恵を持っていながら、脳の負担を軽くするために脳内の全てを紙に書いて頭を軽くするという知恵は有りませんでした。

 多分、性格的にそうならば仕方ないですが、脳内に爆発的に浮かぶ思考を紙に書くだけで楽になるという一種の成功体験を得た人などが手帳やノートやメモ帳を多用するのではないでしょうか?

 最初はメモ帳を知り、そのメモ帳の情報を整理しやすいように手帳やシステム手帳やルーズリーフにシフトし、さらにはライフログのように自分の日々を記録して、読み返せばいつどんな時にどんな症状で苦しんで、どのような処置をしたのかが確認しやすいので、『万が一が発生したときの、自分を救う救急箱』という概念でアナログ筆記全般に傾倒していく人が多いと思います。

 私としましては、手帳で日々の管理をせよとか、日記で毎日を豊かなものにしようとか、目の前を重要な情報が通過しないようにすぐさま筆記して重要度に応じて取捨選択をしようとかは改めて啓蒙しません。
 それは個人が自身の考えで発展させていけばいいと思います。万人向けの手帳が存在しないのと同じ理屈ですね。
 
 なので、先ずは脳内がしんどい人は思ったことやアイデアや心に触れた文言や自分でもよく分からないけど言語化してみた字列などを思いつくまま好きなように好きな時に神に書き出していけばいかがでしょう? ……と言いたいのですよ。
 書きたいことがあるような気がするのだけど、上手く言語化できない! と仰られるのでしたら、脳内を書き出すことの練習のつもりで、次回の診察で主治医に伝いたい内容を書き出してみるのもいいのではないでしょうか?

 私の場合はポケットに入るサイズにちぎったブロックメモと自宅のペン立てに有ったペグシルからスタートしました。
 好きな筆記用具を手元に日々の思うままを無為に連ねてみるのもいいのではないですか?
 もしかしたらそれは無為なものではなく、自然と脳の負担を減らす作業として重要な役割を果たしているかもしれません。何気なく見聞きしたので書き留めた事柄が後になって重要な情報になるのかもしれません。

 何事も、最初を踏み出さなければ、メモを取ることの重要性は実感できないと思います。
 少しでも、どんなことでも「メモを取っていてよかった!」と思えば筆記用具が大きな武器として見えることでしょう。

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