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アネクメーネからの脱却 #青ブラ文学部 

 焼きつくような熱気が襲う。さらに、髪や頬に被る砂粒の不快さで目が覚める。ここに赴任して3年が経つ。不便なことの方が多い地域ではあるが、目覚まし時計いらずで生活できることは唯一のメリットだ。
 ここは月面かと錯覚してしまうほどの荒涼とした大地と、生命の息吹を感じさせない寂しい離れ小島。僕は、いつになったらここから抜け出せるのだろう。
 僕は、奨学金返還免除というメリットだけを考えて、地域医療拡充制度を利用した。その時は、デメリットの部分が見えていなかった。こんな形のお礼奉公があったなんて、誰が思うか。
「まあ、とにかく医局のいうことをきいていればいいから。とくに教授の言葉は絶対だからね」
 つい先日、大学講師に昇格したばかりの医局のザ・コバンザメが、有難いアドバイスをよこした。
「絶対、ですか」
「でもね。教授の言葉を合わせ鏡のように、ただ自分に映しておけばいいんだよ」
 医局のザ・コバンザメは、含み笑いを浮かべながらささやいた。
「それって、適当にあしらっとけってことですか?」
「この医局の中で、上手くやっていくには常に教授が正しくって、映る姿は私の『かがみ・・・』ですって、言っていりゃあ、いいのさ」
 そう言って医局のザ・コバンザメは、両手を合わせ鏡のようにパタパタとしてみせた。
 でも僕は、合わせ鏡を見たことも使ったこともなかった。だから、正しい使い方をしらないまま、教授の前に出てしまった。
「そうか、孫山くんは地域に根差した医療を目指したいんだね」
「はい」
 この返事の解釈の違いが、僕をアネクメーネ地へと飛ばされることになろうとは思っておらず、返答の仕方がいかに大切かを知った。
 辞令がおりた時には、もう遅かった。
「君が自分で選択したんだろ? 僻地で医療をやりたいと」
「僕が考える地域に根差した医療とは、教授がおっしゃるような地域ではありませんで」
 ザ・医局教の教祖が鋭い視線を送ってきた。
「私の考えが、間違っているとでも?」
「いえ」
 
 僕は、自分の鏡には異色の姿は映せない。
医局のザ・コバンザメの講師のような、合わせ鏡のワザは使えない。だけど、これでよかったと思う。僕が本当に望んでいた地域医療を、ここで開拓していけばいいんだから。

 まだ3月だというのに、気温は27度を超えている。古びた扇風機だけでは干からびそうになる。
 ライムグリーンに塗られた診察台に置いてあるスマホがなった。教授が言う僻地である離島であっても、電波状況はいい。が、それは僕がいるこの島だけであって、回りに点在する島には基地局がない。何かあれば、連絡なしに診療所のあるこの島に直接来なければならない。
 そして、彼女は突然やってきた。
「孫山先生、レジデント2年目の湯谷千愛ゆたにちえと申します。よろしくご指導お願いいたします」
「はい?」
 僕は途方にくれた。千愛と名乗る女性が、アネクメーネ地に舞い降りた天使のように見えた。
「連絡は、きていないんですね」
 千愛さんは、診察室を上に下にと確認するように視線を這わせると肩にかけていた大量の荷物を床においた。
「当面必要な薬剤をお持ちしました」
「はあ」
 僕は間の抜けた返事しかできないでいる。
「私も、孫山先生を見習って合わせ鏡を見なかったんです」
「え?」
 千愛さんは、言葉を発しながら診療所内を観察し回っている。
「医局のいいなりにはならなかったということです」
「ああ」
 千愛さんは僕が寝室に使用している部屋へ入っていく。
「けっこう広いんですね。ここなら二人で寝ても十分ですね」
「え?」
「だって、ここの勤務医は常駐しなければならいんですよね」
「それが、条件だからね」
 千愛さんがバスルームに入っていき、声を上げた。
「先生、ちゃんと合わせ鏡、使ってらっしゃるじゃないですか」
 僕は千愛さんの声につられ、バスルームへ向かう。赴任してからこのかた、じっくりと室内のものを見たことがなかった。たしかに、バスルームにある小さな洗面台に収納を兼ねた三面鏡がついていた。
「合わせ鏡って、あまりいい意味あいで使われないですけど、私はこの鏡はいい意味にしていきたいと思ってます」
「どういうこと?」
 千愛さんの髪は頭の上で団子状に丸められており、彼女の長いうなじが見える。そのうなじに薄っすらと汗が滲んでいる。
 千愛さんは、小さな洗面台の前に立ち三面鏡を広げた。
「過去、現在、未来。すべて共鳴しあう合わせ鏡だから。希望だけを映しましょうよ。ね、先生」
 


 もう、ここは人が寄り付かない未来が見えない僻地じゃない。
君が合わせ鏡の扉を利用して無限の力をこのアネクメーネ地へ取り込んでくれた。
「あっちぃね」
「あっちぃね」
 この言葉だけは、僕も千愛さんも合わせ鏡のように繰り返している。

                              了
 

 


#青ブラ文学部 #合わせ鏡
今週も参加させていただきました。
よろしくお願いいたします。
お題のニュアンスと離れてしまいました💦


サポートしてほしいニャ! 無職で色無し状態だニャ~ン😭