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冥府への玉座 第10話

第2章 再生の時

1. ヴィーダの悲しみ

 ヴィーダの長い回廊を抜けると、迫り出した岩にポツンと黄金こがね色した十字架が立つ景観が広がった。
 ラナキュスはこのままペルセウスが産まれいづるのを待つのか。
『英雄』が来て、ラナキュスが宝冠を被せようとする時がチャンスだとポーランツ王子は思った。
 どうしても、ポーランツ王子には伝説が輝かしいものには思えなかった。天地創造を繰り返してきた神々が、怒りもせずわれわれ人間が犯してきた醜悪を見逃すわけがない。再びの大洪水を見舞い悪行の根源を消滅させ、この世をまったくの別の星へと再生させるのだろう。
 そうであるのならば、再生への道を選択することも間違いではないのかもしれないと、ポーランツ王子は思いもした。

(民が望む希望の世界が築けるのならば、わが命かけても惜しくはない)

 しかし、人間は何度も過ちを繰り返しては後悔し、忘れる。そして、また同じことを繰り返す。前世では英雄だった者を妬み、悪者はその者を討とうとし、戦がはじまる。後世では悪者だった者が同じように妬まれ討たれる。
結局、違うことをしているようで、同じことを繰り返すだけなのだ。

(私は、人類再生の起動役に過ぎないのだろう。ただの悪あがきにつき合うほど愚かではない。今いる人々を残そうともぜず無き者にして、何ができようぞ。そのような無駄な航海に出ても、また難破してしまうだけだ) 

 黄金色に輝く十字架の立つ伝説の地、ヴィーダの心臓。
逆らうものは、いつでもこの地より突き落とさんとばかりに十字架の下は深い谷だ。一歩間違えば、この谷底へと吸い込まれてしまいかねない。
「ポーランツ王子、ここまで来たからには、もう無駄な努力は遠慮願いたい。神聖な地を汚すことになりますからな」
 ポーランツ王子は首筋にあたる短剣の刃を気にしながら、青紫色した棘のある苞葉ほうようの中に、金属のような光沢を放しながら妖しく微笑む小花をつけたエリンジウムが咲き広がったような空に目をやる。ペルセウスが、すぐそこまで来ているのを悟った。

(時間がない。何としてでも、この航海を阻止しなくてはならない)

「さあ、ポーランツ。この台座にひざまずきなさい。われわれが待ち望んでいた、本当の戴冠式を執り行う」
 と言って、ラナキュスはポーランツ王子をヴィーダの心臓である黄金色の十字架前に導いた。その際、ポーランツ王子の首筋から短剣の刃が離れた。ポーランツ王子はその一瞬を見逃さなかった。素早くラナキュスから短剣を奪うと、彼から離れた。
「ラナキュス、戴冠式は行わない。素直に宝冠を返せば、命までは奪わん」
 ポーランツ王子はラナキュスから奪い取った短剣を構えながら、静かに反対の腕を伸ばした。
「そんな慈悲をかけられても、うれしくはない。この宝冠がなければ、貴方は何の力も持たない」
「であれば、宝冠を谷底へ投げろ。それでもかまわん」
 ラナキュスはポーランツ王子の放った言葉に頭をふる。
「こんなこと、こんなことがあってたまるか。ずっと、この時を待っていたのだぞ。私は、何のために国を裏切ってきたんだ」
 ラナキュスが持つ何万粒という小さなサファイアが散りばめらたフォン・カール王家伝来の宝冠が、少しづつ顔を出してきたペルセウスの光りに反応して碧く輝き出した。それはまるで、森の中の名も無き湖の上に飛び交う無数のホタルのようだ。
「ここまで来て、なぜ、すべてを望まない」
 ラナキュスは宝冠を手にしたまま、ゆっくりと後退りしていく。
「ラナキュス、気をつけろ! 谷底に落ちるぞ!」
 そう叫ぶポーランツ王子の言葉に反応したかのように宝冠のサファイアがさらに煌びやかに光り出した。
「私は永遠の命と、枯れることのない繁栄が欲しかった」
 ザザザ、と、衣擦れのような音のあとホタルの光が消えた。
「あっ」
 という声がした。
「ラナキュス!」
 ポーランツ王子はラナキュスの名を呼ぶとともに、彼が持つ光り輝く宝冠を掴んだ。
「ぜ、絶対に手放さない」
 ラナキュスは彼の細い腕でしっかりと宝冠を掴んでいる。宝冠のサファイアが放つ光でラナキュスの苦悶に耐える表情が見えた。
「そうだ。そのまましっかりと掴んでいろ。今引き上げてやる」
 ポーランツ王子は必死で宝冠とラナキュスの腕を掴んでいる。ラナキュスは宝冠の光りに照らされているポーランツ王子の瞳を見つめた。大きく見開かれたその瞳が、深く暗い夜の海面で青白く発光する夜光虫のように感じられた。航路に迷った難破船を正規のルートに戻すには遅すぎたようだ。
「ポーランツ。貴方は深く碧い神秘の泉だ。すべてのものを魅了し、飲み込んでしまう。とても美しくもあり、とても危険だ……」
 そう言うと、ラナキュスは宝冠を掴んでいた手を離した。
 ソレル・ラナキュスは暗く深い谷底へと消えていった。

 ポーランツ王子に残された宝冠のサファイアが眩しい光を放ち出した。見上げる空にはペルセウスが鎮座している。
「もうこれ以上、この世を混乱させてはならない。ケネスの言葉を借りるならば、私は胴欲の根源だ。根源を絶たなければ、何年と争いは続く」

 ポーランツ王子は右手に持つ宝冠を見つめた。眩しを増す宝冠のサファイア。その宝冠をゆっくりとヴィーダの心臓である黄金色の十字架に被せ、左手の短剣に目をやる。小さいながらも色とりどりの宝石が散りばめられている柄に、何やら文字が刻まれている。ヘブライ文字だろうか。
「聖なる言葉が書かれているのだろうが、私には読むことができない。悪戯あくぎも笑って許してもらえるだろうか」
 そうつぶやくと、ポーランツ王子はペルセウスが輝く天を仰いだ。そして、ラナキュスから奪った短剣を自ら左胸に突き刺した。そのまま、黄金色した十字架に倒れかかるポーランツ王子。
 ペルセウス座が強い光をポーランツ王子にあてている。
 ラナキュスの短剣を左胸に刺したまま、光輝く十字架を背にして座り込んでいるポーランツ王子。その頭上で煌々こうこうと輝いている宝冠。
ヴィーダの心臓と呼ばれるその空間だけが、昼間のような明るさを保っていた。

 白馬の騎士ヴァイスがヴィーダの心臓に着いた時、彼は絵画の世界に飛び込んでしまったかのような錯覚にとらわれた。
 目の前の光景が現実のものとは思えなかった。
 後光に包まれたポーランツ王子。
 左胸に刺さっている短剣。その短剣からとめどなく流れ落ちる鮮血。
 恐るおそるポーランツ王子に近寄る白馬の騎士ヴァイス。そっと、ポーランツ王子の頬にふれてみる。氷のような冷たさだ。
「どういうことだ。これはひどい悪戯だぞ、ポーリー」
 白馬の騎士ヴァイスはポーランツ王子が自ら握る短剣を彼の手とともに、ゆっくりと静かに彼の左胸から引き抜いた。すると、さらに激しく鮮血が流れた。白馬の騎士ヴァイスは必死でポーランツ王子の左胸から流れ出る成熟した葡萄酒のような血を、一滴残らず掬い取ろうと試みた。
 白馬の騎士ヴァイスは、ただポーランツ王子を抱きしめることしかできなかった。白馬の騎士ヴァイスの騎士の象徴である純白のサーコートが葡萄酒のようなポーランツ王子の鮮血によって、光の射さない洞窟の中のような黒さに変わり、その姿は漆黒の騎士ケネスのようだった。
 それは、ヴィーダが悪魔と化してしまったのか、それとも、わが子を失った母の悲しみなのか。

 黄金色の十字架を照らす光は消えることはなかった。
 



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