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冥府への玉座 第9話

第1章 混沌の世界への誘い

8. 聖なる母胎

 白馬の騎士ヴァイスがキャリコダウン国一行の最後尾に追いつくまでに、さほど時間はかからなかった。ラナキュスたちは、伝説の地ヴィーダ修道院に向かっていることに間違いないと思った。
 ペルセウスがヴィーダの頭上に現れ、二つの伝説のサファイアが合い交えた時、想像もつかない事態が待っていることだろう。
 すべての富と権力、永遠の命を手にする者と何かを失う者。必ずどちらかの者が生じるのならば、何の疑いもなく自分は後者になる。それは、ポーランツ王子の即位が決まったその瞬間から白馬の騎士ヴァイスが感じていたことだった。

 多くの悲劇と変遷を繰り返し、その目撃者として君臨してきたヴィーダにとって、われわれは招からざる客なのだ。馬での侵入はもちろんのこと、数人の選ばれし者のみが『彼女』の胎内に入ることを許される。
 キャリコダウン国一行の中で、白馬のオリバーは目立ち過ぎてしまうため、白馬の騎士ヴァイスはオリバーに別れを告げることにした。数日で決着するのか、何日間にも及ぶ戦いになるのか。とにかくオリバーをここで待たしておくことはできない。苦渋の選択だった。
「オリバーよ、またお前に会えるといいが。それまで、俺のことを忘れないでいてくれるか? さあ、行け」
 オリバーは振り返りもせず、荒涼とした大地へ走り抜けていった。何年もの間、ともに戦っていた愛馬との別れもあっけないもので、感慨にふけっている暇も与えてもらえなかった。
 
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 拘束を解かれたといえ、何時間も眠らされていたポーランツ王子にはヴィーダへの侵入は実に危険極まりなかった。それは、老体に鞭打って拒絶するヴィーダを抱こうとするラナキュスにとっても同じことが言えた。息も絶え絶えに登るラナキュスの姿は、人間の執念と醜悪そのものだとポーランツ王子には思えた。
 ポーランツ王子の後方から登っている漆黒の騎士ケネスは、何か得体の知れぬ力を背後に感じていた。それが、これから迎えようとしてる奇跡への前兆なのか。そうであって欲しいと漆黒の騎士ケネスは願わずにはいられなかった。
 2、3時間登った頃、岩盤をエグり貫いた通路に出た。それからは西側扉に到着するまでさほど時間は要さなかった。
 『彼女』は、我々を拒んでいないというのか。

「ヴィーダよ。今こそ伝説を遂行する時がきた。今宵、奇跡は起きるのだ」
 とラナキュスは、天に向かって叫んだ。
「奇跡ではなく、神の怒りに触れ世界の終わりが訪れるかもしれない。それでもいいのか? キャリコダウン国、主君ケネス・レインブーネ」
「世界の終わり?」
 漆黒の騎士ケネスは困惑の表情を浮かべた。
「ケネス、ポーランツの言葉に惑わされるな!」
 ラナキュスは、もうすでに敬語を捨てていた。
「奇跡は起こる。ポーランツの瞳と、この宝冠があれば」
 ラナキュスは背中に抱えていた袋からフォン・カール王家伝来の宝冠を取り出し、高々と天に掲げた。
「そうは、させない」
 ポーランツ王子は、その耳なれた甘い声色を聞き振り返った。
「ヴァス!」
「意外と早かったな。ヴァイス・ブロンデン」
 ラナキュスは動揺した様子もなく、静かに宝冠をおろした。
「ポーランツ王子を返してもらおう。ポーランツは、わがハフェンベルグ王国の国王ぞ」
 白馬の騎士ヴァイスは真鍮のつるぎを握りしめ、ヴィーダの子宮口に立っていた。
「また会えたな、ヴァイス・ブロンデン。私も、サファイア王ポーリーを譲るつもりはない」
 剣の柄を持つ右手に一筋の血管を浮き上がらせ、漆黒の騎士ケネスはゆっくりと両刃の剣を抜いた。漆黒の騎士ケネスの持つその剣は、白馬の騎士ヴァイスが手にしている剣とは対照的に青黒く光る鐘青銅の剣だった。
「ヴァス、お前はケネスを殺してはいけない。彼は、ケネスはお前の」
 ポーランツ王子の言葉を遮るように漆黒の騎士ケネスが先に動いた。
「お前が誰であろうと、私には無意味だ」
 と言って、漆黒の騎士ケネスは少し口角をあげた。
「望むところだ」
 勝てるだろうか。白馬の騎士ヴァイスの脳裏に一抹の不安がよぎった。だからだろうか、無意識に子宮口へと後ずさりした。
「やめろ! お前たちは殺し合ってはならない!」
 剣を交えようとする白馬の騎士ヴァイスと漆黒の騎士ケネスに近寄ろうとするポーランツ王子の首筋に短剣の刃がかすかにあたった。
「ポーランツ、もう時間がない。じきにペルセウスが上空にやってくる。さあ、私と一緒に来るんだ。ここは彼らに任せておけばいい」
 ポーランツ王子とラナキュスは美しいアーチを描いたヴィーダ修道院の回廊をゆっくりと歩きはじめた。

 白馬の騎士ヴァイスには、ポーランツ王子の言葉がまったく理解できなかった。なぜ、己を殺そうとした漆黒の騎士ケネスの命を奪うなと言うのか。

(戴冠式で連れ去られたあとの数日の間に、ポーリー、お前と暗黒に染まったこの男との間に何があったんだ)

(ヴァイス。お前と俺は、やはり同じ血が流れているのだな。同じ人をこんなにも必要としているのだから)

 白馬の騎士ヴァイスと漆黒の騎士ケネスの距離が少しづつ縮まっていく。
 シュッ、と、骨肉が砕けるほどの速さでくうを切る音がした。
 金属と金属が激しくぶつかり合う高い音が、ヴィーダがあげる悲鳴のように白馬の騎士ヴァイスの左腕に響いている。
「もう、お前に奪われるのは、ゴメンだ。二度と俺から奪えないようにしてやる!」
「何を言っているんだ。俺は貴様から奪ったものなど何もない」
 近衛兵の行軍のように二人の騎士が石畳みをこする音が続いた。次には山奥から吹きつける北風のごとく、白馬の騎士ヴァイスの耳元に冷たい空気が抜けるように剣先が通りすぎた。
 白馬の騎士ヴァイスは、獣のように圧しかかってきた漆黒の騎士ケネスをかわすように避け、真鍮の剣を振りおろした。黄金色に輝く白馬の騎士ヴァイスの剣先が漆黒の騎士ケネスのわき腹をかすめた。
「ううっ」
 漆黒の騎士ケネスが声をあげてうずくまった。
「そんな傷でも痛かろう」
 石畳に頭をついて痛みをこらえている漆黒の騎士ケネスの姿を確認すると、白馬の騎士ヴァイスは剣をおさめた。
「ポーリーとラナキュスがいない。東の扉に向かったか」
 白馬の騎士ヴァイスは踵を返し、ヴィーダの回廊を走り出した。
「待て、ブロンデン。なぜ止めを刺さない。勝負は終わっていないぞ!」
 漆黒の騎士ケネスはわき腹を押さえながら、白馬の騎士ヴァイスのあとを追った。美しいヴィーダの回廊を走り抜ける白馬の騎士ヴァイスと漆黒の騎士ケネス。柔らかい曲線を描く回廊は『彼女』の産道なのだろうか。白と黒の二人の騎士はヴィーダの母胎へと戻っていくかのようだった。

「レインブーネ、今はラナキュスを止めることが先だ!」
「う……もう、間に合わん、あきらめろ……ヴァイス」
 漆黒の騎士ケネスは右のわき腹を押さえたまま、回廊の中央に倒れ込んだ。
 白馬の騎士ヴァイスは母の温もりを懐かしむ余裕はないというように、必死で回廊の奥へ、奥へと向かっていった。

(俺たちは生まれ変わることができるのだろうか。それが可能ならば、ヴァイス、間に合わなくていいんだ。間に合わなくて)

 蹄鉄ていてつが回廊を叩くような靴音が、しだいに遠ざかっていく。漆黒の騎士ケネスの目に映る中庭の草が巻貝の鰓下腺さいかせんから流れ出た赤紫色に染まりはじめていた。

 


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