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「手帳持ちの子の教育にお金をかけるの?」

これは『子供に過度なトライアルをさせてるだけで、自己満足なのでは?』的に非難めいて言われたことも、単純にびっくりされて言われたことも、両方ある。いずれにせよ、私はとんでもない物好きと思われているようだ。

長男は知的の遅れありのASDで手帳あり、次男は小学生の時に手帳は返却して今はただのADHD。2人とも療育センター出身者。

現在、長男はフリースクールに、次男は私立中学に行っている。2人ともよく頑張っているが、お金がかかって本当に大変。でも仕方がないと思っている。

私はIT関係の仕事をしている。50代以上のエンジニアに発達障害の人は割と多い。はっきり診断がついているかは不明だが、絶対そうだと思う。エンジニアとしては知識も豊富でものすごく優秀だが、社会性はないし、クライアントから借りたものを失くすなど、管理能力も危うい。フォローする人やアシスタントを付けないと立ち行かない。うちの子を見ているようだ。彼らには多くの共通点があるが、中でも、
「親が、自分のあまりの社会性の無さに『何か特技を付けさせよう。これからはコンピュータの時代だ』とPCを買ってくれた」
というエピソードを持つ者が多い。

40年くらい前、PCは1台100万円くらいする時代。彼らの多くは普通のサラリーマン家庭。清水の舞台から飛び降りる級の投資だろう。インターネットもなく、マウスもなく、膝の上に教則本を置いて、それを見ながらキーボード操作を覚えた時代。パソコン通信で電話回線を占領して何十万円という請求書が届き、親にぶん殴られたのが武勇伝の彼らは、Windows95が出る頃にはコンピュータ関連の学校で優等生だったか仕事に就いていた。親はとてもいいタイミングで投資できていたと言える。

そして後からどんどん優秀なエンジニアが出てきても、ユニークな視点と物凄い集中力で、ずっと途切れず仕事をしている。好きこそものの上手なれ、で先見の明があり、ビッグデータの話なんて彼らは1990年代にとっくにしていた。まあ外しているものもあるが。

大儲けをしている訳ではないが、皆常に新しいテクノロジーに興味があり、忙しかったりトラブルに見舞われたり、大変ながらも続けて仕事できてる。周りの理解や協力あってこそだが、これは今は運によるところが大きい。運があれば、発達民の暮らし方としては理想的に見える。今後は運によらずに仕事が続けられる環境が、当たり前になって欲しい。

そんな彼らを見ていると、やっぱり発達民が得意なことを仕事にするには、親はある程度お金をかけなければならないんだな、という諦めのような教訓を得てしまうのだ。

しかし分かっちゃいるけど諦めの悪い私は、学費を払う時期になると、毎度毎度、頭を抱えて青ざめている。そんな私にシンガポール人エンジニアが、いい言葉を教えてあげる、と前置きして、
“World class is world price, Working class is working price”
と言った。彼女も発達民のお子さん2人をインターナショナルスクールに通わせていて、学費を振り込む時にこの言葉を唱えているという。どの発達民の親もお金には諦めが肝心なのか。

ワールドクラスなんて高望みはしないから、うちの子達も好きなことを見つけて、仕事にできたらいいな、と、ため息つきつき学費を払っている。

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