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この世の理は数学かもしれない

今朝の情緒は大荒れだった。
そんな時は色々なものに噛みつきたくなってしまう。

今朝も「なんで人を癒すカモミールの花言葉が「逆境に耐える」なんだよ煽ってんのか?」とイライラしながらカモミールティーを啜った。
そもそも花言葉も紅茶という加工も人間のエゴである。勝手に干されて気持ちを代弁させられているのに悪態までつかれなくてはならないのか。1番の被害者はカラカラのカモミールである。

しかしその直後、外に干してあった雑巾を取り込んだらなんと幼虫がくっついていた。
「ヒェッ!」と悲鳴をあげてしまったが、そのあとすぐに「成長の象徴である幼虫だ…」と、なぜか恍惚としてしまった。

そしてまたすぐ、これは数学の原理と同じではないのかと気付いた。
そこからみるみるうちに納得していった。

私はペンネームをカモミール(和名:カミツレ)とするほど大好きだ。
しかし情緒が基準値を大幅に下回ってしまったため、マイナスのフィルターがかかっていたのだ。
絶対値が大きい分、いつもなら大好きなものに噛み付いてしまったのだ。プラスにマイナスを掛け合わせたらマイナスになる。

一方虫は苦手ではないが幼虫はどうも無理だから元がマイナスだ。しかしマイナスフィルターを通したことで視点が逆転したためプラスになったのだ。
数学の世界でもマイナス同士を掛け合わせるとプラスになる。

その時間の空は綺麗な青ではなく、好ましくないパステルブルーだった。しかしもしその時の空が深い青に美しい白雲がはっきりとしたコントラストで浮かんでいたならば、私はダメージを受けていただろう。
私には眩しすぎた、雲のない薄水色の空は私の網膜に必要以上の刺激を与えなかった。

情緒は安定するに越したことはないが、いつもとは違う視点を知るのは価値がある。
少なくとも私は、幼虫と薄水色の空を少し好きになり、数学が世界の理かもしれないことを再認識した。

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