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覆水が盆に返る世界線

ことわざとはよく言ったもので、起こりうる事柄や教訓をうまい具合に減少に落とし込んでいる。

「覆水盆に返らず」

「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」と言う意味。

Wikipedia

引用してみたはいいものの、大衆性のある言葉なので皆知っているだろう。これがあるから人は簡単に一歩を踏み出せないし疑心暗鬼にもなってしまう。多かれ少なかれ発してしまった言葉や志や決断によって招かれる事象に恐怖を抱いたり憂慮をしてしまうのは人間の性だから仕方ない。
それにしてもそれを「覆水盆に返らず」という誰もが経験したことあるような光景に落とし込めるのがすごすぎないか。床にこぼれた水をかき集めて元に戻そうだなんてだれもしない。「あーやらかした」って天を仰いであきらめる。

特に言葉は諸刃の剣で、ぽろっとこぼしてしまった一言が簡単に琴線に触れてしまう。おしゃべりをするにも無意識に相手を分析しているのだ。
それをしていない人もいないわけではない。もっとも、うまくいかなかった場合は無神経という烙印を押されてしまうから本人は気にしていなくとも何らかの不利益を被っているが。

しかし、私はこの前覆水を盆に返してしまった。
そう、これだ。

必殺・送信取り消し

一度放ってしまった言葉を、私は本当の意味で撤回していた…!
LINEだけではなく、様々なチャット機能に搭載されているオプションである。
ここで言っておきたいのは、手紙を書く際に消しゴムで消すのは覆水を盆に返すことにカウントしない。なぜなら相手がそれを認識する方法がなく、脳内でどう話そうか処理しているのと同じだからだ。

しかし、これで怖いのは盆に返ったかどうかは相手のみぞ知るということ。
私も通知で言わんとすることをにんしきしつつも、後で返そうとしたら送信取り消しされていたことがあるからだ。
業務連絡ならまだしも、「あ、これ相手が送ったこと後悔したな」と思うものもたまにある。
まったくもって覆水が盆に返っていない。

そもそもLINEには「送信を取り消しました」の文言が残るのである。言葉は盆に返っても言葉を盆に返したという行為は盆に返っていないことは明確である。
むしろLINEの「返ったとは限らんからな」という心の忠告にも見えてきた。

再度言うが、業務連絡においてはこれ以上ない有効なオプションである。
視覚として残る以上、それを画面上から消せるというのもかなり有用だ。(昔変顔の誤爆が消えなかった経験がある)

ただ、SNSやチャットがコミュニケーションとしてメイン街道まっしぐらな現代において、やはり覆水が完全に盆に返ることは不可能なのかもしれない。 むしろ覆水が返る「可能性」がある世界線になったので、返ったか返ってないかハラハラしてしまうというシュレディンガーの覆水状態になってしまっている。
なんて不思議で複雑な現代なのだろうか。

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