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好きの点滴は満たされない


好きな物に囲まれても満たされないのは
生きるための点滴になってしまっているか


辛いことが続いた時、私は大好きな友達とご飯に行ったり甘いものを食べる。叫んでしまいたいくらい嫌なことがあったら友達にすぐさまLINEして吐き出させてもらう。

これは本当に幸せなことだ。
しかし不思議なのが、こんなにも好きに囲まれた幸せの詰め合わせなのに、一向に満たされない。
これはあまりにも贅沢が過ぎるのではないだろうか。

そんな自己嫌悪に振り回されていたが、最近ふと思った。
これは今を乗り越えるための点滴なのではないかと。

点滴は栄養こそ満点だが、見た目も味気なく景色に入るだけで殺風景さが際立つ。
そもそも口を介していない時点でありえない。
しかし、生をつなぐための感情を無視した一番効率的な栄養摂取なのだ。

支えなしでは生きていけないくらいしんどくなった時、日常にある「好き」をかき集めて燃料にする。元々が底をついていたため、すぐに消費してまた枯渇してしまう。
だから満たされないのだ。
もっと、もっと、と。

それでは、生きるために点滴を打つのは贅沢なのか?
否、言い方は悪いが「好き」を有効活用しているだけだ。
今はそれを噛み締める余裕がないだけなのだ。

だからせめて謙虚にはなろうと思う。
満たされないのになお私のエネルギーになってくれる「好き」と言う感情に感謝して。

もし誰かが満たされないのなら
好きを噛み締められるくらい満たされるまでの
せめて橋渡しにはなりたいなぁ

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