お部屋は 5月の光にうっすらと濡れていて あちらこちらに積まれた本は 砂浜で静かに風 を受ける 滅びた貝の街のようです 私がすべすべとしたページを落とすときにでる 小さなそよ風が 浜にふくのです あぁ 母のやわらかき腕(かいな)のように 積もった本が じっとわたしをみつめていました ぷいっと私は顔を背けました 活字は 冬の蠅に似ていると思いました つい喉が震えました そして ため息が吐き出され ふんわりと軽くなった私の頬は ついつい浮いてしまうのでした 今読んでい
白が私に噛みついて 閉じた瞼は私を突き放して 病室には静けさが降り積もります かなしいのです やわらかなベットにかなしいしわができていて いたたまれなくなって わたしは廊下に逃げ出しました ああ 病院の清潔な床は なんて哀れな音をださせるのでしょうか わたしはきっちりと手入れした ぴかぴかの革靴を履いてきたことを 後悔しました あのひとのところに戻るのが 恥ずかしいような気がしました 涙が すべすべとした私の頬に流れていました こすったら 甘いりんごのかおりがしました わたし
朝には魚が 鱗を光らせて ちぎれた挨拶を ひきつれます ほろほろ落ちる 工業団地の けむりはとけて 魚たちの 大きなえらに かけこみます ひろがっていきます あっという間に 彼らは光りになって ちいさくなっていきます 夜には鱗が 沈んで 輝く泥となります ひっそり歌う 濡れた森に おうむは一匹 音は 流れる川をかためていきます くずれていきます なにをみているのですか くずれていきます
学としての倫理学、または倫理を〈語る〉ことは、〈倫理〉から離反することになる。 〈倫理〉は最も人間的なものであり、だからこそ人間に最も反するものとなる。これは、〈倫理〉が、〈真理〉とは異なるということ、そして〈倫理学〉が〈真理〉を扱うことを〈至上〉とすることを暴きだすものである。 〈私たち〉は〈反省〉といったかたちでしか〈倫理〉を取り扱えない。そもそも、〈倫理〉は〈反省〉、つまり〈懺悔〉である。 もし、この〈反省〉を度外視して、〈倫理〉の〈存在〉を問題にしたとき、私たちは〈倫
かがみにふれないで 無関心に立つ、背筋が伸びた鏡の前で 気難しい青年のような顔をしないで。 曇りのない鏡には、赤く目をはらしたあなたの顔が より子供っぽくなって映っている。 かがみにふれないで 閉じ込められて動けなくなった光である鏡は、 あなたの瞳を揺らす涙をぬぐってはくれないでしょう ただ、あなたの生活の光を映し続けていた鏡は、 あなたのその涙が、〈光〉であることをあなたに知らせます。 かがみにふれないで 私だけに涙をみせて 輪郭ばかりがはっきりして 常にぼや
いまだ、誰かの手にある本を想う 頼んだ本が届くまでの期間は、少しの活字も読みたくなくなる。それは読んでいる本に対して無礼な振る舞いをしないためである。そしてこの期間は、恋人が見せた視線の意味を考える時間のような、幸せで少し苦しい思いに似ている、と私は思う。 図書館で朝食を ―おや、あそこの棚に、やけに分厚い本があるな。冷たいアスファルトで休んでいる雨水たちのような色をしている。うん、フランス文学の棚だ。『失われた時を求めて』だったらもう少し厚いかな。近づいてみよう。ああ