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小説はもっと肩の力を抜いた方が良い

小説を書いている人、読んでいる人は小説を大切なかけがえのないものだと思っている人が多いと思います、僕もそうですが。
小説がないと暮らせない、子供の頃から何冊読んだかわからない人もいるでしょう。
でも、世の中にはそう思っていない人もいます。小説がなくても普通に生きていける人、そういう人の方が多数派なのかもしれません。

昨年、商業デビューして「ふたりの余命 余命一年の君と余命二年の僕」を出版したとき、多くの知り合いから祝福の言葉をいただきました。読んでくれた人もいましたが、読まない方も結構いました。読んでくれたら嬉しいけど、もちろん強制はできません。

読書感想文を書くためや現代文の授業で日本人全員が一度は小説を読んでいるから、誰でも本が読めると読書好きは思いがちですが、実際はそんなことありません。

サッカーや体操、大工仕事も学校で教わったと思いますが、大人になってしている人は少ないでしょう。
スポーツのように道具が不要で、ルールを覚える必要がない読書は誰でも気軽にできそうですが、小説を楽しく読むにはそれなりの経験が必要です。
文字から情景を想像し物語の筋を追っていくのは訓練とまでいきませんが、ある程度読み込んでいないと、多くの小説を楽しく読める段階まではいかないと思います。
学校の授業で読んだぐらいでは、読書習慣は身につきません。それでも、生徒の何パーセントかは小説の魅力を知り、本を読むようになります。それは、授業でサッカーに触れて、サッカー観戦が好きになる人と割合はそう変わらない気もします。

小説を読むことができても、継続して読むかどうか、楽しいと思えるかどうかは個人差があります。
続けるかどうかも、学校で体験する多くの教科やスポーツと同様です。

文芸書の売り上げはこの10年で半分になったそうです。その文芸書のうちの半分はWeb小説、ということは紙の本の文芸書は10年前の4分の1の売り上げになったということです。
今更、出版不況なんて言わなくてもわかっていると思う人が多いと思いますが、スマホの台頭、趣味の多様化に伴い、小説を読む人はさらに減ってきています。

「小説は楽しいものです」と読書好きがいくら声高に叫んでも、それが現実です。
もちろん、それは小説好きからすると悲しいことではありますが、誰でも小説が読めるわけではないことは理解すべきかもしれません。そうしないと、「どうして小説を読まないの?」と上から目線で考えてしまうからです。

それでも、もちろん、小説を求めている、好きな人は大勢います。そういった人のために小説を書くことことは続けるつもりです。
ただ、全ての人が小説を求めているわけではないことも同時に知っておくべきだと思います。
「小説の魅力を伝えなきゃ!」みたいに使命感をもつより、「好きな人は読んでいってね」ぐらいに肩の力を抜いた方が良いように最近は思います。

初の商業出版です。よろしかったら。


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