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物語の種子としての小説

おそらくきっと小説というものは、もっともコストがかからない「時間芸術」だと思います。小説を時間芸術と呼ぶかどうかは意見がわかれるかもしれませんので、物語と言い換えてもよいかもしれません。

絵や音楽が必要な映画やアニメとは異なり、文章だけで表す小説は基本的に小説家ひとりだけの人件費で完成させることができます。
細かく言えば、PCや電気代、資料、取材旅行などの経費、編集者や校正者の人件費はかかりますが、大勢の人が関与し大量の機材が必要な映画やアニメに比べて、低コストでしょう。
漫画も最近はPCで作業するので材料費は昔ほどかかりませんが、大量に描くならアシスタントを雇わないといけないようです。

物語が完成したら、お客さんにお届けするために商品として流通させるのにも費用がかかります。
小説も装丁、印刷、物流、書店での小売りコストなどがかかります。
時間芸術の商品の中では、おそらく映画がもっとも流通コストがかかるでしょう。映画館のスクリーンをおさえないといけないし、上映するたびに、モギリや映写師(って今でもいうのかな)の人件費が掛かります。
ネット配信するにしても、画像よりもデータ量が膨大な映像の方がコスト高です。

他の物語と比較してコストが掛からないことは、小説の強みかなと思います。小説を書くだけなら、コストの心配は作家の人件費だけで、他に才能ある人を集めることなく、ひとりの小説家が思いついたアイディアを実現することができます。
映画やアニメでは監督が面白い物語を思いついても実現するまでには資本と協力してくれる人が必要で、時間がかかります。
小説を書くことが簡単とは言いませんが、物語を表現する他の手法との比較での話です。もちろん、映画制作よりも手間と時間がかかった小説も中にはあるでしょうけど。

映画制作にはお金がかかりますが、それでも投資が行われているのは、ヒットすれば膨大な収益が見込めるからです。「ゴジラ-1.0」の興行収益は140億円以上です。制作費は約15億円ですので、投資が大きければ収益も大きく、まさにハイリスク・ハイリターンの商売ですね。

小説にコストがかからないのは、画像・映像がないからでもあります。「家が燃えている」と書けば読者が情景を想像してくれる小説と違って、映画は燃えている家をセットかCGで表現しないといけません。

なにが言いたいかというと、小説は物語の種子として生き残っていくことができるのではということです。
残念ながら小説を読む人は減っていて、市場は縮小傾向です。タイパを求める人、スマホの隆盛などさまざまな要因がありますが、その流れは不可逆なのかもしれません。
それでも、もっともコストをかけずに物語を現実化できる小説は、漫画やアニメ、映画を制作する「種」として生き残っていける気がしています。
今までも、小説が原作の映画やアニメはたくさんありましたが、ひとりの頭の中で生まれた物語を表現できる小説は、物語の種として今後も活用されるような気がしています。

本当は小説を読んでくれる人が増えて、小説市場が活性化することが一番ですが、物語の種子になることを想定して小説を書いていくのもひとつの道なのかと思います。


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