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生まれた場所から遠ざかる

若い頃、知り合った女の子に「男と付き合う前に、親のようになりたいかそうでないか相手に確認するといいよ」と偉そうにアドバイスしていた時期がありました。
その頃の僕は、親のようになりたいそうでないかで、人を分けていました。今考えると、ひどい話ですけど、親のことが気になる年齢だったんでしょうね。

一応、根拠みたいなものはありました。大学に入ると、高校のときよりも多種多様な人と知り合う機会が増えました。
驚いたのが、「親のようになりたい」と話す人がとても多かったことです。私立大学だったこともあり、附属中学・附属高校から進学した生徒や、裕福な家庭の子が多かったからでしょう。親から車を買ってもらい、外食を厭わない人たちが大勢いました。
何不自由ない暮らしを提供してくれた親を尊敬するのは当然の帰結ではあります。

僕が住んでいた町にお金持ちは少なく、周りにはほとんど誰もいませんでした。うちも裕福ではなかったですが、同じような家庭の子ばかりだったので、ドラえもんのスネ夫みたいな「お金持ちの子」が現実に存在するとは想像していませんでした。
今考えると、大学入学は初めて「格差」というものが、この世界にあるのだと実感した瞬間でもありました。

ただ、裕福なだけではなく、「親のようになりたい」と考えている人は、どこか真っ直ぐで暗さというか歪みみたいなものがないように思えました。
逆に、「親のようになりたくない」と思っている人は陰のようなものがまとわりついているように思っていました。
今考えれば、あまりにも単純化した考えだと思いますが、当時は「格差」というものに触れて、捻くれていたんですよね。

僕は親のように生きたくないと子供の頃から思っていました。親が嫌いではなかったですし、どちらかというと仲が良い家族だったと思いますが、ずっとそう思っていました。
実家での暮らしが、自分の理想とはかけ離れていたからだと思います。
僕が生まれるまで、実家には本が一冊もなく教養というものが存在しませんでした。自分が望んでいた暮らしとは大きく異なり、全く違う世界を目指したい気持ちをずっと抱いていました。

これも今思えば親たちは日々を暮らすのに一生懸命で、そんなゆとりがなかったとわかりますし、そのような暮らしの中で子供を育て上げたことは大変なことで感謝したいですが、若い頃の僕にはその苦労がわかっていませんでした。

でも、親というか生まれた場所から遠くに行きたいという思いは、今でも変わっていません。
遠い場所というのは、パプアニューギニアとかブラジルとか地理的な意味ではありません。
リッチになりたいのでもなく、精神的に遠い場所です。
別にスピリチュアルなことではなく、わからないことがわかるようになったり、できないことができるようになったりすることです。
人は容姿なり才能なり、もって生まれたものを抱えてどうにか生きていくしかないのですが、そのありものを丁寧に育てて遠い場所へ行きたいと思っています。
多くの本を読み知識を蓄え、さまざまなことを経験することで、遠くの景色まで解像度が高くクリアに見えるような、そんな場所です。
その上で、なにかを成し遂げられたらと思っています。自分の才能を伸ばし、今までになかったものを作り上げる。それが僕の場合は、小説でした。

誰にも書いたことがない良い小説を残すのが僕の夢であり、目標でした。
満足がいくような小説を書き残すことが、僕にとっての生まれた場所から離れることでした。
その思いは今も変わっていません。


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