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洗練された文章は目が泳ぐ

作品を推敲していると、本筋とは直接関係しない文章や表現を省きたくなります。何度も読んでいると、「この表現は冗長だな」「この比喩はなくてもいいだろ」とどんどん削りたくなります。
それによって読みやすい文章になっているともいえますし、平易な文章になるともいえます。
「読みやすい」というのは小説にとって重要な要素です。読者に余計な負担をかけさせるのは作者の本意ではありません。わかりにくい文章や無意味な表現はない方が読者にとっては好ましいはずです。

だけど、本筋とは離れた文章や、なくても意味が通る比喩を全て削ってしまって良いのか、推敲していて考えることがあります。
洗練されすぎると、文章が目で泳いでしまい、頭に入ってこず、記憶に残らないのではないかと思ってしまいます。
「一冊しか刊行していない無名の新人作家がなにを偉そうに」と思われそうですが、どこまで洗練した文章にすれば良いのか、気になるんですよね。

おそらく、緩急が大事なのだと思います。物語の起伏に応じて、本筋とは関係性が薄い風景描写や比喩を混ぜたり、物語を一気に進ませる部分を交互に行うことが大事な気がします。

読んでくれた人に、不要なシーンがあると指摘されることがよくあります。この前も今推敲している小説で、何度も読んだはずなのに、「このシーン丸ごと不要だ」と指摘された通りに削ったら、物語がスッキリ流れるようになりました。
クライマックスの前に、穏やかなシーンを加える癖がどうやらあるようです。
モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングの初期の傑作に「クリスティーン」という小説があります。悪霊が憑いた殺人自動車の物語です。
登場人物たちがクリスティーンを倒しに向かうクライマックス直前の早朝に、友達の母親へ会いに行くシーンがあります。
「クリスティーン」は初期のキングらしく全編スピード感あるシーンが続くのですが、その母親のシーンは穏やかで「戦いの前の静けさ」という雰囲気がひしひしと伝わってきます。
読み終えてから何十年も経って、多くの場面は忘れてしまいましたが、その母親のシーンだけは今でも鮮明に覚えています。
その場面が好きで、執筆の際は参考にしているのですが、現代小説の感覚では冗長すぎるようです(僕の技術の問題もありますが)。

緩急のバランスの取り方は、今後も研鑽を積む必要があるようです。

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