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E判定の大学を受験して落ち、一浪したけど第一志望には行けなかった私の受験記録を振り返る、43歳、2児の母

前回の終わりに予告した【私が誰かに何かを教えるときに憑依させる3人の先生】シリーズを書くつもりだったんだけど、世間は大学受験のシーズンだなと思って、中2娘と進路について話したこともあり、今回はこの記事を書くことにする。
大学受験の方々は、共テが終わって出願大学を決める頃かな?
高校受験はこれから、中学受験は終わりの方?
Xで、皆さんの悲喜こもごもを拝見していて、私の経験も何かの役に立てばいいなと、思った次第です。

合格のコツは書かれていません

先に言っておくが、私は大学受験に成功したわけではない。
だから、これは成功話ではない。
とはいえ、この失敗をバネに…みたいな美談でもない。
18歳と19歳の私の、あの時の選択に後悔がないと言えば嘘になる。
もっと粘り強く調べればよかったと思うし、もっと頑張れたかもしれないとも思う。
でも、それでも、43歳になった今になってもなお、当時の私よくやった!と褒めたくなるのは、
私がちゃんと落ちたから。
どうしてそれが誇りなのか。
今まさに選択を迫られている受験生のみんなに、私の経験が参考になればうれしい。

現役不合格 ➡ 浪人

現役入試で落ちて一浪し、さぁセンター入試だ!という時に、お世話になった予備校の塾長から
「あなたは受験に向いてないね」
と言われたことがある。
校長の真意はもう分からないけど、「私もそう思います」と返してしまうほど、私は入試がとても苦手だった。

それでも、行きたい大学があり、そこで学びたいこともあったので、私なりには頑張っていたつもりだ。
でも、現役の時、センター試験当日に高熱を出してしまった
今思えば、追試を受ければよかったのだ。
でも、「追試の方が難しいから受けるな」という先生の言いつけを守り、私は意識が朦朧とするなか試験を受けた。
(今だと、会場に入れてもらえないんじゃないかな)
結果は、最低点の更新。
話にもならなかった。
でも、私の受験スイッチが入ったのは高3だったので、おそらく一浪になるだろうなという予感はあったし、親も承知してくれていた。
(はじめて自分が一人っ子であることに感謝した)
なので、そこまでショックでなかった。
むしろ、最低の成績を体調のせいにできて、ほっとしたような気すらする。

で、次なる問題は前期と後期の二次試験をどこに出願するか。
高校の担任の先生からは、
「第一志望は受からないと思う。でも、一浪するにしても練習としてどこかは受けた方がいい。受けるなら受かるところを受けた方がいいので、こことかどうですか?受かっても辞退すればいいだけですから」
というようなことを提案された気がする。
母と2人でその話を聞いて、私はすっかり提案された大学を受けるつもりで帰宅した。
その日の夜、父に受験する大学について話すと、私の決断にめったに口を挟まない父に珍しく反論された。

「ダメだ!お前は予定通り、神戸大学を受けろ。練習が必要だと言うのなら、なおさら他の大学を受ける意味なんかない。今年受からなくても問題はない。来年また受けるんだろ?ちゃんと練習してこい!」

その通りだと思った。
私は、自分の下らない自尊心を少しでも満たすために、行くつもりもない大学の合格が欲しいだけだったのだ。
担任だって、私が合格しさえすれば、たとえその後辞退したとしても「国公立合格者1名」を加算できるわけだから、「練習にどこか他の…」という提案も私のためだけを思ってくれた結果のアドバイスだったとは言い難い。
目が覚めた感じがした。
これは、他ならぬ私の受験なのだ。

センター試験でE判定というと、まぁまず受からない。
今はどうか分からないけど、当時の神戸大はセンターの比重も大きかったので、二次の筆記で高得点をとっても合格は厳しかっただろう。
それでも、18歳の私は、前期も後期も第一志望の神戸大学に出願した。
来年もまた来るぞと思いつつ、ウォークマンを聴きながらあの長い坂を上り、試験を受けた。
結果は、予想通り、不合格
私は浪人生になった。

浪人時代

それから1年間、予備校へ通った。
同級生たちの楽しそうなキャンパスライフに妬み嫉みを抱きながら、雨の日も晴れの日も毎日原チャで予備校へ通った。
運動不足の日々で8キロ増量したりしたが、同志もでき、それなりに充実した浪人時代だったように思う。
でも、当時の私は勉強の仕方がよく分かっていなかった。
モチベーションはあったのだが、努力のピントが合っていなかった感じ。
そのせいか、成績は上がったのだが、模試で第一志望のA判定をもらうことはできなかった。
そして、二度目のセンター試験。

私は、センターを受ける前から二浪はしないと決めていた。
なぜなら、心がもう耐えられなかったから。
浪人生の孤独って、おそらく経験したことのある人にしか分からないと思う。
私はその5年後、ニートも数か月間経験することになるんだけど、その孤独ともまた違う苦しさ。
だから、何浪もしたっていう人を笑う人もいるけど、私にとっては尊敬しかない。
楽しいけど苦しすぎる浪人生活を今年で終わらすということは、私の中ではA判定の大学しか受けないということだった。
そんな覚悟で挑んだセンター試験。

もう何判定だったか覚えていないが、私が再び神戸大学を受けることはなかった。
3日間くらい泣いた気がする。
私は哲学科に行きたかったし、神戸の大学に行きたかった。
でも、これ以上の浪人生活は無理。
そこで、A判定だった別の国立大学へ進むことにした。
そこに哲学科はなかった。

ここで、私はもっと調べればよかったのだ。
「哲学科」という名前ではないだけで、中身は哲学科そのものみたいな所もたくさんあったのに、私はもう考えるのが嫌で「哲学は大学院でやったらいいんじゃない?」という母の甘い言葉にまんまと乗ってしまった。
19歳の私は、よっぽどのことがない限り落ちない、センター重視のA判定大学の経済学部を受けた。
当時は落ちたら死のうと思っていたほど、思考が停止していた。
結果は合格。
とはいえ、私は出身大学を誇りに思っているし、そこでの4年間はすばらしかった。(身バレ防止のため大学名を伏せているだけです)
結果的に、その後大学院で哲学を専攻して今に至るわけだけど、哲学に興味のない友達に囲まれていた4年間は、今の私にとっては宝物だ。
哲学畑で純粋培養されてきた人たちよりも、専門外の人が抱く哲学への(負の)イメージについて詳しくなれたから。
そんな友達全員に、哲学の講義でA(当時は、優)を取らせた私の手腕は、今でも活かされているしね。

と、ここでハッピーエンドになりそうなんだけど、私の不合格受験記はまだ続く。

「行けなかった」

実は、神戸大学が諦めきれず、大学3年生のときに編入試験を受けた。
でも、不合格
研究者になりたかった私は、その後大学4年生のとき、東京大学の大学院も受けた。
でも、不合格

こうして文字に起こすと、笑えるくらい惨めだね。笑
しかも、この2つは記念受験じゃないよ。
しっかり準備して、本気で受けたんだ。
でも、私はこの不合格を1ミリも恥じていない。
むしろ、私の誇りだと思っている。
だって、私はちゃんと挑戦したから。
だから、43歳になった私は、
「あの時、受験してれば、もしかしたら受かってたかもなぁ」
っていう妄想をしなくて済んでいる。
挑戦せず、結果を出さないことによって自分の実力を曖昧にし、それを利用して逆にちっぽけな自尊心を守るような真似をしなくて済んでいる
これだけで、私にとってはお釣りがくるくらい有難いことなのだ。

思い出してほしいのだが、現役の時の私は、自分の最低成績を発熱のせいにできでほっとしていた。
私には、こういうところがある。
肥大した自尊心が壊されるのを恐れ、自分の無力がバレるのを恐れ、どうにか隠ぺいしようとするクセが、私にはある。
そうすることでまた自分を嫌いになるって分かっているくせに

「あのときこうしてれば人生変わったかもね」なんて恍惚としながら語る大人は大勢いる。そのなかには、自然災害や病気、金銭、家庭環境など本当にどうしようもなかった事情だってあるだろう。
でも、受験は違う
自分でどうにかできたことだ。
だから、失敗を回避したり、あれこれもっともらしい理由を付けて失敗を軽量化してごまかしたりせずに、ちゃんと挑戦して、ちゃんと結果を出す必要が私にはあった。自分を嫌いにならないために。
それがどんな結果であったとしても。

だから、私は胸を張って言える。
「私は神戸大学に行けなかったし、東京大学にも行けなかった」と。

「行かなかった」んじゃない、「行けなかった」んだ。
私は、そんな自分をカッコいいと思っている。
だって私は「ちゃんと落ちた」から。

ちゃんと落ちる

受験シーズンは、親にとっても厳しい時期。
自分の子どもにできるだけツライ思いをさせたくないというのが親心だと思います。
不合格通知は全人類のメンタルを削りますからね。
だから、受かりそうにない大学は受けさせたくないという思われる親御さんもおられるでしょう。私の身近にもそういう方はおられます。
また、大学受験でなくても、中学受験や高校受験でたくさんの不合格をもらったお子さんやその親御さんもおられるでしょう。
特に中学受験では、子どもに対するサポート不足を悔いる親御さんも多くおられるようです。
「不合格」は、子どもの力だけでなく、親の力まで否定されたような気がして心を折られますからね

どんな選択にも後悔は必ず付きまといますし、そんな結果にも良い面と悪い面があるでしょう。
だから、前を向くために「それもいい経験なる」「不合格をバネに」などと何とかしてツライ結果を再解釈しようとするんだと思います。

でも、そんなことよりも先に、何よりもまず、私はむしろ、ちゃんと挑戦したことを誇ってほしいと思います。
ちゃんと挑戦したお子さん、そして、お子さんをちゃんと挑戦させた親御さんも、みんな自分を誇ってほしい


「ちゃんと落ちる」
この世でもっとも美しい経験の1つだと思いませんか。
私は、そう思います。


私の体験記が、不合格をもらった、あるいは不合格をもらいそうな受験生とその親御さん方の心の休息に役立ちますように。



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