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落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。

孤独感を感じることが多々ある。

孤独だ。そして、寂しい。

頭の中で、「孤独」という状態と、「寂しい」という感情は、勝手に結び付けられ、孤独はなぜか善くないことかのように思えてくる。

それって、随分と受け身の姿勢過ぎるのではないだろうか。

しかし、自我を持っているように発生した寂しい感情は、
いつの間にか、僕らの脳内を埋め尽くしていく。

僕は、これら条件反射のようなフローに抗いたい。


僕の尊敬する起業家の一人、佐藤航陽さんは先日、Xにて、このような投稿をあげていた。

孤独は変化のための「ボーナスタイム」と捉えると良い。人間は他人に囲まれてる時は評価が気になって大きく変われない。誰に何を思われるか気にしなくていい時期は、自分を変えるには最高の時間。

佐藤航陽(さとうかつあき)@ka2aki86さんのX(旧Twitter)にてっl

佐藤航陽さんの投稿を日々見ていると、「社会の当たり前を疑うこと」の大切さに、気付かされる。

僕らは、「孤独」とは「寂しい」ものであり、「善くないこと」であると評価を下し、条件の反射的に生きてしまっているのではないだろうか。

「孤独」という”刺激”に対して、「寂しい」というネガティブな”反応”をするのではなく、「ボーナスタイムだ!」と捉えてみることを僕は提案したい。

その”刺激”に対する”反応”を疑ってみて、主体的に”選択”をしてみてはどうだろう。

この辺りの内容は、僕のバイブルである一冊『7つの習慣』に詳しく載っているので、お時間がある方は、ぜひ。(「第1の習慣」です。)


ここからは、本タイトルに関する内容に関して。

この言葉は、第16代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスが、著書『自省録』の中に記したものである。以前、成田悠輔氏による令和4年度バンタン卒業式の祝辞スピーチで、引用されていた。

空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。(p.174)

マルクス・アウレーリウス著、神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫

この言葉は、前半で書いた内容と重なるものがあり、
僕らは、世の中に起きていることの多くに、勝手に評価を下す傾向にあることを気づかせてくれる。


数日前、「何者かになりたい」というテーマでnoteを書いた。

僕は度々、「成功!」「人生逆転!」「〇〇で人生が変わった!」などの言葉に”反応”してしまう。
それが、誰かによって意図された、プロパガンダだと知っていても。

それは、きっと僕が「昇っていくこと」を善いことだと思っていて、
年収や生活水準の高さ、その他諸々の”社会的権威”のようなものに、
惹かれてしまう弱さを持っているのだろう。

僕と同じように、ときどき”反応”してしまう方には、
一度、「社会の当たり前、常識だと考えられていること」を疑ってみることをお薦めたい。


僕は、この頃、昇っているのか、落ちているのか、わからない日々を送っている。
そして今は、少しだけ評価を下すことを”保留”して、毎日を精一杯生きるようにしている。

はたから見たら、ただ落ちている人なのかもしれない。

けど、数年後には、あの頃は全力で登っている期間だった、と振り返っているかもしれない。

今は、この毎日が”善いこと”なのかも、”悪いこと”なのかも、わからない。

けど、だからこそ、後から”善かった”と懐かしむことができる未来にしようと思えるのだ。

そう、僕達はまだ途中なのだから。

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