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渚にまつわる地名のエトセトラ|Report

海にまつわる沖縄の地名について断固書く。参考図書は南島地名研究センター編『南島の地名を歩く』(ボーダーインク新書)。BGMはPUFFYの「渚にまつわるエトセトラ」を脳内再生してほしい。


砂地を表す地名

①カニク
砂地の土壌をカニクと呼んでおり、海岸近くには〈兼久〉という地名が多い。「大兼久」だとオオガニク、「前兼久」だとメーガニクと濁る。奄美だと〈金久〉という漢字になる。

海岸の平地なので便がよく、畑や道にも利用され、馬場(マーウィー)を兼ねたところも多かった。畑だと小字名や原名として今に残っている。

②ジャ
〈謝〉の字が当てられる。「謝敷(ジャシキ)」「我謝(ガジャ)」「真謝(マジャ)」「謝苅(ジャーガル)」のほか、「銭田(ジンジャ)」「我喜屋(ガンジャ)」「座安(ジャー)」もこの系統だとされる。

③イーフ、イフ
たまった土砂のことらしく、海砂だけを示すものではない。最も有名なのは久米島の「イーフの浜(イーフビーチ)」で、これは海流や潮流により寄せられたまった砂浜の意味である。

地名では〈伊保〉という漢字になり、「仲伊保(ナケーフ)」「伊保原(イフバル)」などがある。①と同様の理由で、小字名や原名であることが多い。谷地形で名付けられる場合は、大雨などで土砂が溜まりやすい場所という意味合いだったと思われる。

港を表す地名

①津
沖縄語では古くから〈津〉が港の意味で、交易や商業のために船が出入りする場所に対して用いられた。津口(チーグチ)とも言う。「〜トゥ」と呼ばれた小規模な津も各地にあったらしい。

②泊
文字通り舟が泊まるところという意である。那覇市、中城村、久米島町で「泊(トマリ)」地名があるほか、「仲泊(ナカドマリ)」「宇地泊(ウジドマリ)」などがある。以前はトゥマイ、ドゥマイと発音した。

かつてはサバニ(小型の剥ぎ舟)が移動の主な手段だった地域も多く、舟を陸揚げするのは集落前の浜だった。そうした地域では「泊原(トゥマイバル)」という原名が残されている。

③港、湊
ガレッジセールの沖縄ネタに「沖縄のしりとりはンでは終わらない」というのがあるが、〈港〉もンナトゥと呼ばれる。もともとは〈水戸〉あるいは〈水門〉だったとされ、河口や川のような入江を指していたらしい。

浦添市の「牧港(マチナト)」は「真比」の近くの港だから、「港川(ンナトゥガー)」は港近くにカー(井泉)があったからと説明されている。

ユナという地名

「与那原(ユナバル)」「与那(ユナ)」「与根(ユニ)」がこの系統の地名である。いずれも白砂の海浜が見どころだったところで、ユナは砂の意味だとされる。

一方、同じ〈与那〉の当て字を使うが、与那国町、うるま市与那城(旧与那城町)、南風原町与那覇などは別の名付けルールに従ったもののようだ。

ヌーという地名

〈澪〉の字を当てる。「みお」の語は『おもろさうし』には出てくるが、現在の地名には少ない。「饒波(ヌーハ)」はそのひとつで、川筋の澪を指したものだろう。「伊野波」もヌーファ発音らしく、こちらは満名川沿いにある。

海の地名にはヌーは多く残っている。うるま市の「饒辺(ヌヘン)」は藪地島との間の水路の澪が由来のようで、このように舟の出入り口となった水路のことをヌーと呼んでいる。氷河期で海岸線が後退していた頃の河川跡であることも多く、干瀬の切れ目ともなっている。

南城市の久手堅、安座真、知名で、旧盆ウークイの翌日にあたる旧暦7月16日に現在も行われている伝統行事の「ヌーバレー」は、実は〈澪祓い〉だったという説がある。それというのも、祀る者のいない無縁の霊は、海からヌーを伝って陸地にやってくると信じられていて、通り道になっている澪を祓い清めるための儀礼だったという。

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