Shigetoshi Yamamoto

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小説 「タミコさんの家」 落合伴美

(序章)  朝の空気を柔らかく感じるのは季節が春めいてきたからだ。土木事務所に勤めていた頃、金曜日の朝は微少な気怠さを振り切るように家を出ていたのだけれども、その感覚はいまや記憶のかたすみに残っているだけだ。鏡の下のフックには赤いラインが引かれた歯ブラシと青いラインの歯ブラシが並んで掛かっているが、夫の歯ブラシの方だけ毛先が減っている。力の入れ加減も関係しているのか。同じ日に買った歯ブラシなのに。  きょうはいつもの金曜日にはならない。タミコさんの家を訪問するからだ。タミコ

    • 帰郷 (後編) 落合伴美

       乃木坂コレドシアターには苦い思い出がある。コレドの主、桃井章さんを激怒させてしまったのだ。「パラソル」は二人芝居だった。彼女と浜田晃さんが出演。浜田さんの顔は、時代劇をよく観ている方なら知っているだろう。現代劇でも悪役で頻繁に出ていた。このとき82歳。これほど元気な82歳には会ったことがなかった。芝居は、小説に例えていうと、いくつかの短編をならべたようものだった。舞台上には二人しかいないのに、いったい何人を演じるんだ、呆気に取られた。彼女は少年の役が似合っていた。この芝居の

      • 帰郷 (前編)     落合伴美

         年末の慌ただしさが駅構内にもあるのか、改札を抜けてホームに向かう人々の歩き方がバタバタしている。気のせいかもしれないが。お洒落なコートやジャンバーがあちらこちらで動いている。お洒落とは思えない服装の人もいるにはいる。とにかく土曜の午後だから、電車に乗ってスムーズに座るためには、早めに並ばなくてはいけない。早めに並ぶとは列に加わっていては遅いということだ。 近鉄特急というスピーディーで洒落た電車に乗ることは選択肢になかった。のり弁野郎だからな。言っておくが自分を卑下しているわ

      小説 「タミコさんの家」 落合伴美