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ホワイトな学校へ#53 寄り道⑭ 一面で判断してはいけない~義伯母のこと

私は、この義伯母に、確か2度程しか会ったことがない。
その程度しか知らないのに、こうやって記事にするのはおこがましいが、あまりにも印象的なので、書いておきたい。

私が彼女に最初に会ったのは、下の子が生まれて、お座りができるようになった頃だったと思う。
私たちが住むところから、比較的近くに住む夫の親戚として、何かのきっかけがあって訪問することになった。

当時、義伯母と同居していたのは、義伯母の息子と孫だった。孫は、電車好きのT君。義伯母は夫の父の姉にあたり、その息子と夫はいとこ同士というわけである。
T君は、確か成人していたが、3歳の長男と電車の話でちょうど気が合った。

義伯母は、私の長女のことをすごくかわいいと、誉めてくれた。(親の欲目ではないが、小さい頃の長女は、子供らしくて誰の目にもかわいかったと思う。今でも、かわいいです!)
そのことについては、私としては、ありがとうございます、という感じだったのだが、その後が大変だった。

初対面の私に、そのT君の母親の悪口を並べ立てたのだ。(あまりにすごいので、内容は書くのが憚られます。)

T君の母親は、障害のあるT君を置いて家を出てしまった。義伯母にしてみれば、自分も働きながら、自分の息子とともにT君を育ててきたわけで、その苦労は並大抵ではなかったとは思う。
しかし、その悪口が延々と続くのだ。もちろん、それを夫のいとこも聞いている。

T君の母親が出ていってしまったは理由はわからないが、この義伯母の話を聞いていると、T君に障害があるその原因のすべてがその母親にあるような言い様なのである。
初対面の私にすらそのように感じられるのだから、T君の母親に対しても、彼女がいたたまれなくなるような言動があったのではないかと推測できる。

私は、第三者として、どちらが悪いとは言えない。


その初対面からの数年後、義伯母は、句集を自費出版した。
義伯母は、俳句嗜んでいた。

我が家にも、数冊送られてきて、それを読んで、私は2度めの衝撃を受けた。
私には、短歌とか俳句とかの素養が全くないのだが、その素人の私が見ても、素晴らしいと思わせられた。
とにかく、繊細なのである。

どのページを選べばいいかわからない。このページの最後の沈丁花、泣ける。

何気ない日々の生活、皆が気づかないようなことを、丁寧に切り取り表現する。何と、繊細な心の持ち主なのだろうか。
あの毒舌を吐く人と、同一人物とは思えない。
すべてのページが、美しさで埋まっている。

これが、きっと、義伯母の本当の姿なのだろう。人一倍繊細な心を持っているがゆえに、人一倍傷つき、表面的には、その傷が毒を吐いているのかもしれない。

人の一部分だけを見て、その人の全てがわかった気になってはいけない。
私は、義伯母のこの句集を読まなかったら、彼女のことを誤解したままだったと思う。 

義伯母は、最期、献体をした。
この句集に表されている言葉と、献体で人生を締め括るというところが、彼女の本当の姿なのだろうと思う。 

次回は、その25 というわけで、先生の言葉は重い です=^_^=       


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