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ホワイトな学校へ#59 教育長に伝えたい←Y先生曰く

前回のコメントで、みゃー先生から、計画的だと褒められたばかりだが、今回ばかりは、急遽計画変更。

24日は、修了式だった。私の自治体では、今春、異動のプレス発表が、3月21日になったので、修了式に続けて、離任式も行った。

そして、毎年、☆小親睦会では、修了式の日の夕方にお別れ会を行っているので、お別れ会も行った。
お別れ会では、☆小を去る先生一人一人に残留組のプレゼンターがつく。
私のプレゼンターがY先生だったらまずいと思っていたら、Y先生。
案の定泣かされた( ;∀;)

会の後、Y先生は、「このような場では、話を短くまとめて話すべきなんでしょうけど、今回は、最後なので、敢えて思っていることすべてを話したいと思いました。」と言って話してくれた。

Y先生は、自分が今日語ったことは、
教育長先生とか、偉い人に聞いてもらいたい、
校長先生たちには、N=^_^=kotyo先生のように、全職員がこのように思えるような学校経営をしてほしい、
偉い方々には、この内容を校長先生方に伝えてほしい、と力説していた。

私のことを褒めてくれた内容を紹介するのは、恥ずかしいだけなので、そのつもりはなかったが、どこかで苦しんでいる先生を救うきっかけとなるかもしれないのであれば、教育関係の偉い方や校長先生方の目に触れるかもしれない、このnoteで、Y先生の願いを伝えたい、と思った。
(一部、原文と変えています。)

N=^_^=kotyo先生へ
長年に渡ってT自治体の教育にご尽力され、この度、無事に定年退職を迎えられたことに対し、「おめでとうございます」「お疲れ様でした」など、何を言っても軽々しく、kotyo先生への感謝と敬意の気持ちは表しきれないように思います。

6年前、kotyo先生が☆小にいらした時、私は、本校2年めでした。「所信表明」のお話を聞いて、心から納得し、賛同し、とてもわくわくした気持ちになったことをはっきりと覚えています。
そして、第1回めの企画会議。16時半ちょうどに始まり、43分に終了。廊下に出た時に、当時の事務さんと思わず目を合わせ、「これ、いいね。」と目で会話したことを鮮明に覚えています。

何に対しても、明確に判断し、私たちを迷わせない、一度言ったことがぶれない、よく覚えていらっしゃる、私たちの時間を大事にしてくださる。
このようなkotyo先生の主導のおかげで、私たちの仕事がどれだけやりやすく、子供たちへの指導に専念できることにつながっていたか図り知れません。

授業観察では、「キーワード」と称し、端的に課題を示すとともに、よかったことにも必ず触れていただき、「次回はこの課題をクリアする授業にしよう」と、毎回、思わせてくださいました。
私が見ていただいた授業は、6年間で17回。kotyo先生のコメント入りの指導案は宝物です。
子供への指導に対しても、「よい姿に注目する」という方針を明確にしていただくことで、私たちは安心して不適切な行動に惑わされないでいることができました。☆小に学級崩壊がないのは、kotyo先生がそのように明確な方針を示してくださるからにほかなりません。

そして、何といっても、子供たちを見るおおらかな、温かなまなざし。
多くを求めず、些細なことでもよいところを認め、「すごい!」と言ってくださることは、私たち教員にとっても大きな安心につながりました。
子供にとっては、なおさらです。
全校朝会では、「今日は、何をほめてもらえるのだろう」と、子供たちが楽しみにお話を聞いていることが伝わりました。「めりはり」「本物の力」などの、分かりやすい言葉を繰り返し使いながらほめてくださったおかげで、これらの言葉とその意味が、子供たちの中にしっかりと浸透しました。
全校朝会と言えば、そのお話の分かりやすさも忘れられません。
全校朝会のkotyo先生のお話をホームページにアップすることは、私の一つの楽しみになりました。お話がとても分かりやすいので、まとめるのも簡単でした。
「☆小は、こんな風に子供を育てていますよ」と、自慢するような気持で、毎週の記事を書いたものです。

これほどお仕事に邁進されているかと思えば、ソフトボールやバレーボールで激をとばし、卓球の☆小杯を立ち上げトロフィーまで用意。
歓送迎会や忘年会では、手の込んだゲームと、遊び心を忘れないお茶目な姿。
季節の植物や自然の移ろいに目を向ける姿にも、私たちは癒されました。

個人的なことを申せば、体調をくずし、病気休職の間、どれほど支えていただいたか、図り知れません。急遽入院し、病気が分かった時に、引継などのややこしいことを一切求めず、「全て了解しました。療養に専念を」と言ってくださったこと。入院中に学校の様子を面白おかしく知らせてくださったこと。「もうダメそうです」と校長室に駆け込んだ時に、「話してくれてありがとう」「Y先生の一番楽なようにしていいから」と言ってくださったことは、忘れられません。
退職の道を選ばずに、今、私が元気に仕事をすることができているのは、kotyo先生が、私が働ける環境を整えながら粘り強く回復を待ってくださったからです。

kotyo先生は、常に、誰に対しても、それが子供であっても職員であっても、「相手がどのような気持ちになるか」を考えながら、物事を進めて、言葉を発してくださいました。
上の立場にいる、kotyo先生のそのような姿が、今の☆小の働きやすい職場風土の源になっているように思います。
また、昔から「大変」と言われ続けた☆小に、この6年間、心を病んで休む教員はいませんでした。
校長先生の主導で学校は作られること、変われることを目の当たりにした6年間でした。
そして、kotyo先生が、長年のキャリアの中で、どんな時にもどんな場でも、私利私欲からではなく、皆のために誠心誠意、誠実に、自らがすべきことに全力であたってこられたことを日々感じ、そのような仕事への向き合い方、ひいては生き方も、私たちは学ばせていただきました。
kotyo先生が築いてくださったこれらの土壌を、私たちは大事にしていかなければなりません。

別の学校の校長先生ではなく、新たな道に進むことを選ばれたことは、常に前に進み続けるkotyo先生らしい選択なのかなと思います。
大学でもきっと分かりやすく、学生さんたちが大きく頷く講義をされることと思います。
いつかもぐりこんで、聴講できたら嬉しいです。

kotyo先生が降りてしまう☆小の舟を、これからも無事に走らせていけるか、不安でいっぱいですが、kotyo先生から、たくさんのことを学んだ私たち教職員で、力を合わせて進んでいきます。
どうか、これからも見守っていてください。

N=^_^=kotyo先生のもとで仕事ができて、幸せでした。
6年間、ありがとうございました。

Y先生から

読み返してみると、Y先生の言葉は、これまで、「ホワイトな学校へ」で述べてきたことの、教員目線でのまとめ、感想、振り返りになっているf(^ー^;

Y先生、皆さん、ありがとう=^_^=


次回は、皆さんに感謝 です=^_^=

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