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私と(毒)親【2】

子供というのは、どんな酷い親でも。
クズでもクソでも。
どこかで親の無償の愛を求めるものだと思う。
毒親持ちだった私が言うのだからある意味間違ってはいないと思う。

特に私は母と何もかも合わなかった。
姉は父と全く合わなかった。

しかし、自分も大人になり、なんなら復讐しないにしても親を捨てることの出来る歳になったのに。
私も姉も出来なかった。

50近くなると父は病気が多発した。
リウマチに糖尿病。

リウマチは膝と肩を手術した。

もちろん通院も見舞いも私と姉がした。
見舞いなんて1日置きに姉と交代でした。
だから父は毎日娘のどちらかが来てくれていたことになる。

それは病室内で羨ましがられることとなった。
だから父は、鼻が高かったことだろう。

母は入院の付き添いも来なかった。
車が運転出来ない(免許持ってない)からという理由。一応。
原付きの免許あるから行けない訳ではないのに、見舞いにも行かなかった。
しかも、連れて行くのは、わ•た•し!
運転か〜んけぇねぇー。

兄は母にそっくりな性格だから面倒なんだろう。行かなかった。
見舞いも行ってねぇ。

これは癌の闘病中も同じだった。

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