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お構いなしの花と週末

梅の花を見ていた。
玄関の白い大理石に無造作に置かれたままの梅の枝は、丸い蕾がたくさん付いて、いくつかは既に花を咲かせていた。
ああ、早く水に挿さなきゃ。
見慣れたペール色のフローリングに横たわって、梅の命を思う。
むくっと上半身を起こすと、人感ライトの明かりがパッと灯って、まるで梅にスポットライトが当たったみたいだ。優勝、梅。なんてね。

東北のアンテナショップは人で賑わっていた。
バレンタインデーを前に、チョコレートのお菓子も多く用意されている。
冷蔵のドリンク棚を物色し、小さいサイズの日本酒を手に取る。
甘口なのか、辛口なのか、アルコールの度数は、と知識もないのに目を凝らして読んで、結局はにごりと書かれた水色の瓶をカゴに入れた。
にごり酒で美味しくないと感じるものに、私はまだ出会ったことがない。
お煎餅とアップルパイもカゴに入れ、レジの手前で「ままどおる」の小さな詰め合わせにも手を伸ばした。これ、美味しいんだよね。

両手いっぱいにぶら下げた紙袋には、夢が詰まっている。
デパートで買ったバレンタインのチョコレートは私にとって嵩張る割に夢のない業務的なものだけど、地下で買った魚とスパイスたち、遠回りして寄った東北のお酒とお菓子はこの連休の彩りだ。

地下鉄から地上に出る頃には、一刻も早くこの荷物を下ろしたくなっていたのに、花屋の前で梅の花と目が合ってしまった。
冬は色が少ないから、こんな鮮やかなピンクには目の覚めるような気持になってしまう。
ダメだって、花は枯らす専門だって、わかっているのに冬に健気に花を咲かせる梅に釘付けだった。
そもそも、この長さの枝を活ける花瓶なんて持っていないじゃないか。荷物も多いし諦めようとした時、中から出てきたおばあさんに声をかけられた。
「梅、いいでしょう」
「はい、可愛いなって。でもうちには大きな花瓶がないですし、私は枯らす専門で」と笑うと
「梅の切り花はそんなに日持ちはしないのよね。枝に十字に切り込みを入れてやると、少し長く楽しめるかしら。花瓶はペットボトルでも代用できるわよ」と言った。
ペットボトル、と思った。
ペットボトルは思ってたんと違う選手権があれば、余裕で予選を通過するのだよということを逆に教えてさしあげたい。
しかし、会話をしてしまった手前、買わずに去ることも出来ず、私の手には500円と引き換えに本格的な彩りが加わった。
そして梅の花を抱えた途端、いい女感がすごい。
私はこれからリビングに梅を飾る女として歩いた。誰も花瓶がペットボトルだなんて思うまい。

私はいつも帰宅すると、玄関ホールに荷物を置きっぱなしにする。
そして洗面所で手を洗い、服を着替えた後に迎えにいくスタイルだ。
その日も買った食材から迎えに行って、そのままお米を研いで炊飯器にセットした。
フランスの映画「コーラス」のDVDをセットして、レタスを洗い、トマトを切る。聴こえてくる少年たちの歌声にやっぱりサントラが欲しいと、グラスに注いだビールをゴクゴク飲む。ぶはぁー!この為に生きてるな!とか言ったかもしれない。
映画を観ながら料理して飲むというのが、私の大好きな日曜夕方の過ごし方。
今日はカルパッチョを食べるんだ。
鯛を適当に切り分けて塩コショウを振って冷蔵庫に入れた。

下ごしらえが済んで、リビングに寝そべってしばらく映画に没頭していると、花束のシーンで玄関に置きっぱなしの梅のことを思い出した。
お水に挿さなきゃ!
立ち上り、注ぎ口をカットしたペットボトルを取りに向かったキッチンで、あれ?何だかおかしい。
身体中の血が下がってリビングが急に遠のいていく。
変な酔い方したのかな、でも全然飲んでない。
それでも梅を迎えに玄関に向かう。今思えば、この時、相当ふらふらしていたんだと思う。
気が付いた時には廊下に倒れていた。

ものすごく怖い出来事だった。
幼い頃は、朝礼や部活で何度か倒れたことがある。そういえば新社会人の頃も一度、会社の朝礼で倒れた。倒れるに久しぶりも何もないけれど、もういい年齢になってきたし、こんな風に倒れるなんて脳梗塞になったのかと思って、どうしようかと思った。
少し落ち着いてから、死を意識して全体的に綺麗じゃない部屋なのに、謎にテレビの埃とか拭いたし、カメラロールのあんな写真やこんな写真を消して、とにかく恥をかきたくない女だった。
カルパッチョは冷蔵庫にしまわれたままだ。

後日診てもらった内科では、頻繁に起こるようなら精密検査しましょうとなり、お酒はその日からしばしお別れ。やめろと言われたわけではないけれど、やっぱりまだちょっと怖いから。

新しい週末はお構いなしにやってくる。
枯れずにペットボトルで咲いている梅を眺めながら、コーン茶をすする。
しょっぱいなぁ。私が感じていた週末の煌めきはお酒というフィルターを通して感じているものだったのかもしれない。

「ペットボトルって!」口に出して言ってみる。
梅は完全無視で咲いている。

詫びとか寂びとか、よくわかんないよ。
制限された日常の中でも輝くとか、足るを知るとか、そんなことを横目に感じながら、悪態をついている。


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