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自分さがさない


流れてきたXから、
『自分とか、ないから』というタイトルに、
胸がえぐられた。


そしてすぐ、ホッとした。



まだ、まったく読んでないのに、
ここnoteに書いたことがなく、
躊躇いもしたのですが、
書かずにいられなかった。

なぜなら、
my noteキーワード ランキング
ベスト1はまちがいなく、
「自分」だから。
(そんな検索機能があったらいいな)

どんなけ自分が好きやねん!
というツッコミ。

いや、自分が嫌いなのか?

自分を探したいシンドローム??

ああ、ほらもう、
そこにあるのは「自分」笑

中身は読んでいないので、
どんなお話、主張、
東洋哲学からの展開かもわからずに
書いて申し訳なくも思うのですが、

タイトルだけで、
だれかの目先を変えられる凄み。
を感じます。

思い出したのは、

「個人」は、分割することの出来ない一人の人間であり、その中心には、たった一つの「本当の自分」が存在し、さまざまな仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営むものと考えられています。 これに対し、「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。

『私とは何か』 平野啓一郎さん


「分人」
と捉えれば、
「自分らしさ」を、考えなくて済むので
すごい、楽だなあ。
と言う、衝撃がありました。

が、そもそも
「自分とか、ないから」

だなんて!!

「自分、がないなら、自分はなんなんだ?」
→きっとこういう思考がもうダメ。

「我思う、ゆえに我あり」

だとしたら、

「自分を思わないことにする」

といいのかな。


やってみたいのは、
「自分」
を書かずに、noteは書けるのか?

あしたのチャレンジにしてみます。

きょうも、いつも、
読みいただきありがとうございます。

noteもあさってで、
丸3ヶ月、連続投稿、ともなると、
自分の傾向、書くパターンみたいのが、
知らず知らずのうちにできてきます。

ので、
・読んだ本のレビューと気づき
・自分のメタ認知にまつわる話

じゃないやつにもチャレンジしてみることで
自分が見えてきそうです
(あ、もう使った・・汗)

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