見出し画像

「人はみな大河の一滴」


「人類みな麺類」
という有名なラーメン屋さんが近くにあって
美味しいです。

きょうお昼にいったラーメン屋さんは
写真の「一夢庵」という
一番好きなラーメンやさんです。

渇いた心に、一粒の潤いをくれます。
心が渇いた時にいくのではなく、
行ったときに、渇いていたことに気づかせて
くれるような至極の一杯です。

かんてんじう【旱天慈雨】
という言葉があるが、からからにひび割れ、
乾ききった大地だからこそ降りそそぐ
一滴の雨水が甘露と感じられるのだ。
暗黒の中だからこそ、
一点の遠い灯に心がふるえるのである。

『大河の一滴』五木寛之さん


42歳で、初めて読みました。
今更ながら、ですが、
今だから出会ったんだと、思いました。

noteをしてなかったら。
noteを通じて、自分の存在を
問うていなかったら
きっと出会いませんでした。
図書館で、
人生ではじめてエッセイコーナーにいき
出会いました。

泣きながら生まれてきた人間が、
笑いながら死んでいく
ことは、はたしてできないものなのだろうか

なにも期待していないときこそ、
思いがけず他人から注がれる優しさや、
小さな思いやりが
旱天慈雨として感じられるのだ

同上

なにも期待しないという覚悟で生きる

同上


いつも人に期待して。
いつも自分に期待して。

は、落胆の人生でした。
もちろん、

期待通り。
期待を超える。

こともあり、その瞬間は嬉しいものです。

でも、期待しては一喜一憂するよりも。

「期待していない」ことを常態として
過ごしていた方が、長い目で見れば。
そう覚悟した方が。

渇いた心に後から気づき、
恵の一滴のありがたみが大きく、長く
感じられるかもしれないです。

期待するから、渇いてしまう。

本当のプラス思考とは、絶望の底の底で光を見た人間の全身での驚きである。

同上


ふつうのプラス思考しか、
してなかったな。
それでも良かったけれど。

底の底、までいってないか、
底の底がいまなのかもしれない。

だからこそ、今、「一滴」の文章に、
一滴の涙がでるくらいに、沁みる。

本当のプラス思考の、一端に足を踏みいれた
ような感覚です。


人はすべて地獄に生まれてくるのである。

しかし、その地獄のなかで、
私たちはときとして思いがけない小さな歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。
勇気が体にあふれ、
希望や夢に世界が輝いてみえるときもある。
人として生まれてよかった、と
心から感謝するような瞬間さえある。
皆とともに笑いころげるときもある。
その一瞬を極楽というのだ。
極楽はあの世にあるのでもなく、天国や西方浄土にあるのでもない。
この世の地獄のただなかにこそあるのだ。

極楽とは地獄という
この世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。

人が死んだのちに往く最後の場所では決してない。

人はみな大河の一滴

ふたたびそこからはじめるしかないと
思うのだ

同上


大河の一滴とは、
恥ずかしながら最初、
「小さな存在としての人、自分」

かと思って読み始めたのですが、

この世を生き
あの世にいき
雨となりまた海へ、大河へ還る、
一滴となりまた、生きる。
生かされる存在。

いかに、今に極楽を見出せるか。
期待はせず、
その瞬間を見逃さず、
味わえるか。

そんなお昼のラーメンから、
仕事して、
英会話の体験レッスンをして、
かえりの電車で読んだ、

「大河の一滴」に、

極楽を感じずにいられませんでした。
ほんとうに一滴の涙がでました。
もっと出そうで、あぶなかった。。

あしたからのゴールデンウィーク、
を味わいます。

今日もお読みいただきありがとうございます。

この記事が参加している募集

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?