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後遺症で嗅覚と味覚がない日々

ついにCOVID-19に捕まってしまった。
パンデミック開始から今まで避けに避けて回避し続けてきた僕がついに。
執拗な手洗い消毒による防御で、昨年妻が感染した時もうつらなかったのに。
まぁ感染したこと自体は仕方がない。犯人探しをしても何にも得しないので、太古の人々のように悪い風が吹いて病を得たと考えることにしている。

幸い症状は軽症で、発熱や喉の痛みなどは数日で消え去った。ワクチン何度も打った甲斐があるというものだ。妻もあっという間に回復した。
しかし僕だけ後遺症にやられた。いま、僕の世界には匂いと味が全くない。

症状が軽快したな、と思い始めたある日、鼻に妙な痛みがあった。大騒ぎするほどの痛みではなかったが、鼻の中に灼熱感と乾燥感があった。鼻水止めの薬が効きすぎているのかなと思ってあまり気にしなかった。

翌日、土産のゴーヤせんべいという物を食べた。苦くもなんともない。と言うか何の味もしない。匂いもない。味ないね、と言うと妻が怪訝な顔をした。どうもしっかり苦いらしい。この時これはアレかと気が付いた。
コーヒーを淹れてみた。何の匂いもしないし、飲んでも白湯と変わらない。苦味が完全にわからない。苦味は嗅覚とあまり関係なさそうなので味覚も逝ったことに気が付いた。
良いお豆のキリマンジャロブレンドが白湯。なんたる悲劇だ。

辛味は痛みと同じような刺激なので、味覚がダメでもわかるかもしれないと思い、激辛カレーを食べてみた。しょっぱい泥だった。
辛さとしてわかるのは、嚥下して喉を通っていくときに喉がチクチクする事だけだ。味覚と言うか舌の感覚がなくなってるのかもしれない。舌が壊れてしまった。

強いしょっぱさはわかる(鼻水のような味だが)。他の味覚は全滅で、ナポリタン食べてもボロネーゼ食べても同じ。味付けしてない「かまたまうどん」のような食感しかしない。ぬるっとしていて無味。
味噌ラーメン食べても塩ラーメンの味。メロンもスイカもキュウリ味。


「ニーチェの馬」という世界の終わりの映画がある。その映画では農夫と娘が熱々のジャガイモを毎日食べている。ところがある日、何故かどうやっても油に火がつかなくなり、ランプもコンロも使えなくなる。それでも生のジャガイモを齧ろうとして諦めてしまうシーンがラストのあたりにある。
あれは生だから食べるのを止めたようにも見えるし、味というものがなくなったから食べないようにも僕には見えた。油が発火能力を失ったように、食物は味や栄養を失ったように見えた。
それまで世界は暴風が吹き荒れていたが、その日は静寂で灰色の世界になっていた。静かな終わりが来たのだ。そういう映画で、印象深かったのかとても記憶に残っている。
つまり、僕にも終わりが来たのか?いや、感覚を一時的に遮断されただけだと信じよう。

嗅覚と味覚まで奪うのか、と言うのが今の率直な感想ではある。
以前書いた通り僕は群発頭痛もちなので、頭痛発作期間中は酒もサウナも入浴も運動も昼寝も禁忌だ。それだけで禁欲生活者なのに、さらに匂いと味も失ってしまった。世界は灰色だ。
こうなったら楽しみはもう、このつまらない世界を滅ぼすことくらいじゃないか。ヴィラン誕生の瞬間だ。大人気アメリカンコミック「ミスター禁欲者」エピソードゼロだ。
弱点は酒とサウナ。味も香りもわからないのでジュースと偽って酒に毒入れたらイチコロの悪役である。

いま無味無臭の世界になって2週間経過した。だいたい1か月で回復するらしいが、数年回復していない人もいると聞く。僕の精神的な耐久猶予はせいぜい2か月だろう。2か月して回復していなかったら僕は「ミスター禁欲者」となって人類から愉しみを奪うことに残りの生涯をかけてしまう。そうなったら誰か止めてくれ。
そうならずに回復したなら、僕、ちょっと良い焼肉を食べに行くんだ。


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