あの8月15日から


このnoteに辿り着いてしまった皆さんにとって、
この日はどんな日だったろうか。

お盆の一日?終戦記念日?
そもそも記憶にも残らない一日だった?
お勤めされてた方もいるかも。

今ここで、忘れもしない“2023年8月15日”
について、文章にしてみたいと思う。


この日は、W杯開幕前の強化試合だった。
アフリカの地からアンゴラ🇦🇴を迎えての一戦。
台風だったか、かなりの悪天候で、有明に無事に辿り着けるのかどうか、到着できたとしても、無事に帰ってこられるのかが危ぶまれるくらい。
それでも、観に行く以外の選択肢はなかった。

少し横道にそれるが、元々現地に行って応援するつもりはなかった。ほんの出来心でチケットの残り状況を覗いてみたところ、選手と客席を隔てるものが何もないコートサイドの席がわずかに残っていた。
普段の私をご存知の方ならおわかりかもしれないが、仕事に疲れて少々頭の狂っていた私は、いつもより1つも2つも0の多い高額チケットを迷わずポチリ…してしまったのである。本物の気狂いである。

(キャンセルなどもちろんできないし、本場アメリカで活躍する渡邊雄太、富永啓生など、普段簡単に観ることができない選手たちが日本でプレーするその機会を逃す訳にはいかなかった。ウン十万円分のリターンを回収するために、嵐の中だろうと、私は行かねばならなかったのである…)

……それはさておき、
わたしが最も応援している人、比江島慎も、
日本代表としてロスターに名を連ねていた。

しかし、この時点では「メンバー選考」の段階であり、比江島慎のW杯ロスター入りはまだ確約されていない。
つまりは、このアンゴラ戦と、それに続くフランス、スロベニア戦で活躍し、自分の力を証明することでHCの信頼を勝ち取ることができなければ、沖縄の地で日の丸を背負って戦うことはできない、ということ。

その初戦、爪跡を残さなければならない重要な試合が、8月15日のアンゴラ戦であった。



プレータイム 07:16
得点 0
3p 0/3
ターンオーバー 1
アシスト 1

これが、この日の比江島慎のスタッツである。
ボックススコアには、見間違いかと思うくらいに「0」が並んでいる。
普段の彼からは考えられないほどの、物足りなさしかないスタッツである。

それもそのはず、拮抗する1Q残り5分で起用されるものの、ターンオーバー、3pの失敗とふるわず、2分程度で再びベンチへ。
2Q残すところ4分半で富永啓生に代わって再びチャンスが与えられるが、HCにアピールできるプレーができず、クォーター最後に放った3pもリングに吸い込まれることはなかった。
比江島慎のプレーを観てきて日は浅いが、本当に上手くいっていないことがわかったし、彼のファンでない人が観れば「他の選手を出せ」と思っても仕方がないかもしれない…そう思ってしまうほど、何一つ上手くいっていなかった。

そのような前半から薄々わかってはいたが、後半、比江島慎が名前を呼ばれることは一度もなかった。

富永啓生のコーナーマイナス角度からのサーカス3pなどの見どころもあり、会場は大盛り上がり。
日本は75-65で無事勝利をおさめた。


比江島慎が出場していなかった後半に、
前半より10点以上も点を取って、日本は勝った。

この事実があまりにもショックだった。
すごくショックだったが、ただ茫然として、涙も出なかった。

私は比江島慎のファンであるし、世界と戦う上で、絶対に比江島慎の力が必要だと、信じてやまなかった。
ずっとそう信じてきたのに、彼が要所で出場せずとも、日本は勝ってしまった。
「格下だったから比江島慎が出るまでもなかった」と、自分に言い聞かせても、誤魔化せなかった。

この時期、X(旧Twitter)のバスケアカウントは、
「W杯選考予想」の話題で持ちきりであった。
もちろん色々な意見があって当然なのだが、中には「比江島慎不要論」なるものを唱えるバスケファンも少なくなかった。
W杯終了後に本人も語っていたが、「比江島はもうオッサンだからいらない」「若い選手に枠を譲るべき」といった投稿を何度も目にしたし、それを見るたびにいちいちショックを受けたし、「比江島慎はこんなもんじゃない!」と何度も心の中で反芻した。
それでも比江島慎が合宿〜強化試合にかけて、目立った結果を残せていなかった、それはファンとしての贔屓目ありで見ても事実であったからこそ、信じているけれど、不安になってしまっていた。

誰も文句をつけられないほどの活躍をして不要論者を蹴散らしてほしかったし、それを願って現地に赴いたわたしは、魂が抜けたような様子で、どこか遠い目をしてコートを一周して帰っていく比江島慎を、下手くそな引き攣った笑顔で、ただ見送ることしかできなかった。(この時私はかなり動揺していて、かろうじて胸前に掲げていた黄色い#6タオルを逆さに持っていたことにも気付いていなかった)

常々口にしていた「世界に一勝したい」という目標を叶えることができるのだろうかと、そのスタートラインに立たせてもらえるのだろうかと、ただただ不安な日々だった。


結果、比江島慎は最終メンバーに残り、日本代表を救い、日本バスケ界にも大いに貢献した。

彼は、やってくれた。
プレッシャーも、批判も、心無い言葉も、ぜんぶぜんぶ跳ねのけて。

これが、比江島慎なんよなぁ。

ほんの少しでも「比江島さんは代表に選ばれないかもしれない」と思ってしまった8月15日の自分を叱り飛ばしたいし、メンバーが発表されるまで不安でいっぱいだった自分に、ただただ信じろと、そう言ってやりたい。


あの8月15日から、
比江島慎は確実に成長を続けている。
W杯を終えてチームに合流した最初のPSG(vs京都)では、驚くほどにキレのあるプレーを見せた。

ホーバスJAPANにおいて要となる3pについても、ご存知のとおり比江島慎はリーグトップの成功率を維持している。

この男は、本気だ。

2024年7月27日、パリ五輪の予選第一戦を迎える。
W杯でも対戦したドイツ代表へのリベンジ戦とも言えるだろう。

オリンピックのその舞台で、比江島慎が日の丸を背負って、最高のラストダンスを舞うと信じている。

今度こそは、信じられるし、信じ続ける。
絶対に予選突破して、パリまで行こうね、

比江島さん。


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