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【No.117】当たらずしも遠からず 第一法則(幸せは真ん中にある)

当たらずしも遠からず

先日、不確実なことがあると、全否定してしまうという女性に出会いました。
最初、話していて、こちらの質問に「はい」か「いいえ」でしか答えてくれなかったので、この人は話をしたくないのかな?と思っていましたが、ちょっと違いました。
たとえば、彼女はテレビのニュースは情報が操作されていて全部が嘘だから、ニュースは見ないと言われていました。
確かに、ニュースでも多少情報に操作があったり、誤認識で間違ったことが報道されることもあります。
でも、ニュースの取材者、報道者は報道内容を少しでも事実に近づけようと努力していると思います。
その女性は現在私たちが教わっている歴史についても、嘘だらけだと言われていました。
私が中学生の頃の歴史の教科書と今の教科書には、多少表現の違いがあります。
これは、歴史に新たな事実が確認された箇所についてのみです。
鎌倉幕府が成立した年も昔と今では変わっています。
他には裁判もいい加減なもので、冤罪(えんざい)だらけだと言われていました。確かに冤罪は存在します。
どうもこの女性は1のものを100にとらえて、それで全否定してしまうようです。
ただ、この女性は聖書だけは真実であると信じているそうです。
議論を長引かせないように、私は聖書についてはあまり追求しませんでしたが、特に今ある新約聖書は教会の都合の良いように、
イエスが神の子であることを証明する内容のみになるように、編さんされていると認識しています。
新約聖書の原点となる「死海文書」が発見されたとき、今ある新約聖書以外の聖書も見つかっています。
物事を100%真実をとらえようとするには、無理があるかと思います。
私は「当たらずしも遠からず」で良いと思っています。
80%真実をとらえられれば上出来だと思います。
また、私たち人間の五感と脳で認識できることは、物理現象すべてではありません。
例えば、物理学の世界では「時間は連続していない」ことがわかっています。
でも、時間が連続していなくても、私たちが生存するにあたっては、それが認識できなくても何の不都合もありません。
私は不確実なことがあっても、それを全否定する必要はないと考えます。
世の中0/1ではないのです。
「当たらすしも遠からず」それでいいじゃありませんか。

それでは、また。

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