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朝井リョウさんの小説『何者』から観察者と当事者の差を考えさせられた

こんにちは
映画や海外ドラマのブログを書いているアラ還主婦のミルクです。

今年も3月1日から就職活動が解禁されたとニュースで知りました。

『あぁ、二女の就活も2年前の話になるのだな〜』
と思い出しながら就活解禁のニュースを見ていました。

実は2年ほど前に私はcandy@で 映画『何者』の記事を書いています。

今、この記事を読み返してみると、就活が思うようにいかなかった娘のことをずいぶん心配していた親である自分の姿が見てとれます。

2年ほど前に映画を見てからしばらくして、朝井リョウさんの原作の
『何者』を読みました。

その時は考えがまとまらなくて感想を書けませんでした。

今日は、最近再び(二度目)読み直した小説の『何者』の感想を書いてみたいと思います。

下の娘の就活が終わって2年経ち、少し冷静な状態の視点からの私の感想になるので、2年前の映画の記事の時とはまた違った感想になるかも知れません。

朝井リョウさんの小説『何者』は大学生の就活が描かれている。






今回、小説『何者』を再び読んで私が感じたことは


観察者と当事者の違いだ。

大学の演劇サークルで脚本を書いていた拓人は観察者の人だ。

いつも自分は中には入らず、外から中の人を見て、観察してはSNSで辛辣なツイートを発信している。

拓人は人のことを観察、分析して、自分が上にいるような気持ちでいるようにも見える。

友人に対しても表では当たり障りない態度だが
裏(SNS)では辛辣な批評を平気で言ったりして・・・


それに対して拓人のルームメイトの光太郎は学生バンドでボーカル活動に没頭した挙句に落単、
大学を留年するほどだが、
たくさんの仲間から慕われているし、すぐに誰とでも仲良くなれる。
感情をストレートに現す
とても熱い人だ。

光太郎とかつて付き合っていた瑞月もおっとりしているけれども、自分の夢のために一年休学して留学している。
瑞月は家族の悩みも抱えているが、それも受け入れて葛藤しながら消化しようとしている。
そして瑞月は自分の感情を
素直に相手に伝える人。

瑞月と留学時代に知り合った帰国子女の理香はTwitterのプロフィールに
「夢は見るものではなく、叶えるもの」なんて書いたり
自分の経歴アピールに一生懸命だ。(理香も留学のために一年休学している)
理香は正直な気持ちや意見を誰に対しても臆せずストレートに発するタイプなので
敵もつくりやすい人かもしれないけれど。

そして、理香と最近同棲し始めた大学を1年休学していた隆良はクリエイティブ系な仕事を目指していて、「みんなとは自分は目指しているものが違う人間だから」と歯が浮くような言葉もサラリという態度で高飛車なんだけれど
そんな尖ったところが若さゆえか、どこか憎めない。

拓人とかつて大学のサークルで演劇活動していた銀次は就活をするどころか大学も辞めて「毒とビスケット」という劇団を立ち上げて座長として演劇にのめり込んでいる。


拓人以外の光太郎、瑞月、理香、隆良そして銀次は当事者として中にいる人たちに私には思える。


彼らは外から見ている観察者の拓人と違って、

中に入って もがいている当事者だ。

第三者から見ると彼らの姿は無様だったり、カッコ悪いかもしれないが・・・


外から見ている観察者でいると自分が傷つくことはない

観察する立場だから・・・

中で もがいている人を自分は安全な場所から高みの見物していればいいのだから

ただ、私は観察者が悪いと言っているのではない

観察することが好きだったり得意な人もいるだろうから。


拓人が友達のツイートを笑っている様子を知った
かつての拓人の演劇サークルのサワ先輩は拓人にこう言う。

『140字のほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、想像してあげろよ、もっと』
『俺、お前はもっと、想像力があるやつだと思っていた』

誰かがツイートした言葉に観察者であるだけでなくて、想像力を持って相手の立場を考えれば、完全な傍観者ではなく、もう少し当事者よりになれるのではと気付かされたサワ先輩の言葉だ。



拓人と光太郎が酔っ払ってタクシーで帰る時に光太郎がふとつぶやく

『内定って言葉、不思議だよな〜
就活が上手くいって、内定が取れただけで
その人間がまるごと超すげえみたいに言われる。
俺はただ就活が得意なだけだったのに』

留年したのに早々と出版社に内定を獲得した光太郎

そして光太郎は拓人に言う

『俺、拓人になんで内定が出ねえのかほんとにわかんねえんだよ』と


かつて演劇サークルで脚本を書いていた拓人は就活のために演劇もやめて
就活対策も万全にやってきたはずなのに、何故か内定がひとつも取れなくて
就活浪人をしていた。

拓人は表に出さないが、内心ではかなり焦っている。

拓人は就活を始める前からもともと観察者だったのか?
それとも上手くいかない就活の結果
就職浪人をしているうちに自分を保つために観察者の立場に徹して
傷つく自分を守るためだったのか?

私は現在の就活システムについてはよくわからないし
意見を言う立場でもないけれど
まだ20代そこそこの若者たちが就活という道しるべもない大海原に投げ出されて自分を見失って溺れそうになっているのかもと思うと、
居ても立っても居られない気持ちが湧き上がる。

それは、かつて私が、就活でもがき苦しむ娘の姿を身近で見ていた経験がそう思わせるのかもしれないけれど。


内定が一つも出ていない拓人と理香が思い余って本音で衝突するシーンが印象に残る。

拓人は理香から裏で友達のことを批判しているツイートをしていることを暴露される。

理香は「カッコ悪い自分と距離を置いた場所でいつも観察者でいるあんたの本当の姿は誰にだって伝わっているよ、そんな人、どの会社だって欲しいと思うはずないじゃん」と告げる。

内定がひとつも出ない理香も立っていられないほどいっぱいいっぱいの精神状態だったのだけれども。

拓人は理香に指摘されて初めて観察者だった自分を直視せざる負えなくなって

その後、拓人の中で何かが変わったのかもしれない。

何故なら拓人が素人劇団だと馬鹿にしていたかつての演劇サークルの銀次の公演を観に行こうとするからだ。

本当はずっと気になっていた存在の銀次の演劇を観てみたいと思ったのだ。

自分が「何者」かになったつもりで、誰かのことを笑っていた拓人は、実はカッコ悪く見えてしまう自分を何よりも恐れて観察者になっていたことに気づいたのかもしれない。


小説のラストの拓人のグループ面接のシーン

彼が今まで万全だと思ってやってきた面接対策のマニュアル通りの
面接の返答ではなくて

拓人の本当の気持ちを面接官に伝えるシーンだ

彼はしどろもどろになりながら、つまりながらも面接官の質問に答えていく

面接官受けは良くないかも知れない

スラスラと答えられなくてカッコ悪く見えたかもしれない

「たぶん、落ちた」と彼は思うけど

だけど、落ちても、たぶん、大丈夫だ。不思議と、そう思えた。

拓人はこれでいいと納得する。


そこには傍観者(観察者️)の拓人の姿はなくて当事者になった拓人がいた。

そして、私にはそんな拓人がこれまでで一番魅力的でかっこいいと思ったのだけれど・・・


最後まで読んでいただきありがとうございます。


この作品は何度読んでも心にちくっとする痛みを感じます。

私の中にも観察者の(安全な観察者の立場でいたいと思う)
拓人はいると思います。

人間は想像力を持つ唯一の生き物だそうです。

”相手の立場を少し想像できれば、自分も相手も少し楽になれるのかもしれない”

なんて思いながら感想を終わりたいと思います。


人は『何者』になろうとする必要はなくて

こうして毎日頑張って生きているだけで、すでにあなたは(私も)
『何者』なのです。

貴重なお時間を最後までお読みいただきありがとうございます。

長文になってしまいました〜

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