アナログ派の愉しみ/音楽◎モーツァルト作曲『ディヴェルティメント第15番』

人類が生みだした
最も美しい音楽かもしれない


現在とはだいぶ時間の流れが違っていたのだろう。かつてNHK-FMで『名曲のたのしみ』と題して、毎週日曜午前の2時間、音楽評論家・吉田秀和がクラシック音楽を紹介するという番組が40年以上にわたって放送され、そのうち1980年4月~87年2月の7年間が「モーツァルト その音楽と生涯」シリーズだった。これは、モーツァルトが5歳で初めて作曲したとされるチェンバロ用の『アンダンテ』(K.1a)から、わずか35歳の死によって未完に終わった『レクイエム』(K.626)まで、その全作品を原則として成立順に解説しながらレコードで追体験していくという内容だった。

まことに気宇壮大なこの企画を、しかし、当時のわたしは意に介さずにやり過ごしてしまい、ずっと後年になって臍を噛んでいたところ、同様の思いを抱く人々がけっこう存在したのか、吉田が他界したあとの2014年になって、いきなり番組名をタイトルにした全5巻の分厚いハードカバーの書籍(学研)が登場した。そこでは、全270回におよんだ番組の吉田の語りが克明に文字に起こされ、音楽の挿入個所には楽曲名と演奏家を明示したうえ、使用レコードの詳細データが巻末にまとめてあり、さらに付録のCDには番組のサワリの部分がそのまま収録されているという念の入りようだ。

わたしはさっそく購入すると、これまでに集めたモーツァルトのレコードに加え、新たにCD170枚組みの廉価版大全集も用意したうえで、最初のページから順を追って読みはじめ、音楽の挿入個所にきたら当該楽曲のCD(吉田の推薦盤が手元にあればソレ)をかけるという、つまりはもとの番組を可能なかぎり再現するやり方で進めていき、ざっと1年半をかけて最終のページまで辿り着いた。この間、いささかも飽きることなく、むしろ天才モーツァルトの精神が自分のなかに棲みつき、徐々に大きく育っていって、しまいにはすっかり乗っ取られるような異常な高揚感を味わったものだ。

二度とできそうもないこの体験をとおして、じゃあ、いちばんびっくりした作品はどれか? と、みずからに問いかけたなら、答えは『ディヴェルティメント第15番』(K.287)のアダージョだ。シリーズの中盤に差し掛かり、第105回の放送で紹介されたこの楽曲は、1777年に21歳のモーツァルトが故郷ザルツブルクにあって、雇い主のコロレド大司教との軋轢が抜き差しならなくなって辞職へと向かう鬱屈の時期に、ロドロン伯爵夫人の注文でつくられたという。ディヴェルティメントとは日本語で嬉遊曲と訳されるとおり、ごく気楽なサロン・ミュージックの一種なのだが、こんなふうに解説されている。

「それがしかし、モーツァルトのディヴェルティメントになりますと、〔中略〕遊びの中に真剣さがあり、明るさの中に哀愁の翳が漂う。あるいは笑いの中に涙が見え隠れするといったような、モーツァルトの他には誰一人書いたことのないような音楽となるにいたります。ここ数年のモーツァルトの音楽は、ひと口に言えばロココ・スタイルの芸術と言っていいものでしたけど、この作品なんかはまさにロココの中での最上の性質、美徳を持った芸術作品と言っていいだろうと僕は思うんです」

この個所は付録のCDにも収められているので、吉田の肉声に接することができるのだが、その真摯な口調からも楽曲への並々ならぬ心情が伝わってくる。そして、ここで選ばれたのは、カラヤン指揮ベルリン・フィルによる1965年の録音だった。カラヤンもまたザルツブルク出身だけに、モーツァルトにこだわりを持って数多くの録音を残しているものの、吉田の評価は必ずしも高くないらしく、このシリーズでカラヤンのレコードが採用されたのはわずか5曲のみで、そのひとつがコレ。付録のCDには解説に続いて第4楽章アダージョの演奏も入っていて、それが鳴りだしたとたん、わたしは鳥肌が立ったのを覚えている。

まったく、なんという音楽だろう。宝石に譬えれば、表面は柔らかな光沢を湛えていながら、奥に黒々とした闇が沈んで、その底光りがいっそう全体の透明な輝きを際立たせている、と言ったらいいだろうか。もちろん、わたしはそれまで何度か耳にしたことはあったけれど、こうした神秘のたたずまいに気づかず、吉田が先導する文脈のもとで初めて目を見開かされたのだった。かれは別のエッセイ(『モーツァルトをきく』ちくま文庫所収)でも、もし数分の時間しか使えなくて、モーツァルトの音楽から1か所を持ってくるなら、このアダージョのレコードを選ぶと言明して「美の極致」とまで持ち上げている。

ことによると、モーツァルトの全作品のなかで最も美しいのは、と言うことはつまり、人類が生みだした音楽のなかで最も美しいのは『ディヴェルティメント第15番』のアダージョなのかもしれない。その見解に、わたしも一票を投じたくなった。

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