アナログ派の愉しみ/本◎アレックス・ベロス著『どんな数にも物語がある』

偶数と奇数の
あいだにあるのは


はじめに簡単な出題をする。1から50までのあいだの二桁の奇数のうち、一の位と十の位の数字が違うもの(15はいいが11はダメ)をひとつ思い浮かべよ。あれこれ考えず、パッと閃いた数を覚えておいてほしい。

 
お察しのとおりあなたの選んだ数を当てるという趣向なのだが、その答えは後段で示そう。アレックス・ロペスの著作『どんな数にも物語がある』(2014年)の最初の章で、いきなりこのマジックと出くわしたとき、わたしは声を挙げるほどびっくりしてしまった。そのサプライズを成り立たせたのは、1、2、3……といった数字について、ふつうに考えればどれもただの記号でまったく等価であるはずなのだが、実のところ、われわれの受け止め方には大きな差異があるらしいという事情だ。

 
イギリス人の著者はその一例として、東洋哲学では偶数/奇数が陰/陽の二面性に結びつけられていることを指摘し、このつながりがとくに日本の社会で強いと述べる。

 
「たとえば、贈り物は3個、5個、7個にするのが習わしだ。4個や6個ではいけない。結婚祝いにお金を贈るときには、3万円、5万円、10万円が好まれる。2万円でもかまわないが、その場合は、1万円札1枚と5000円札2枚にして枚数を奇数にするのが望ましい。日本の伝統芸術である生け花も、奇数の美しさを前提にしている。非対称が自然界を表しているという仏教の考え方の影響を受けて、花は必ず奇数本使うのだ。日本の高級料理である懐石料理も、皿の数は必ず奇数だ。この習慣は幼い頃から身につける。子供の健康を祝う行事は七五三と呼ばれ、3歳、5歳、7歳の子供だけが参加する。大阪経済大学の西山豊教授によれば、奇数を好むというこの傾向は日本人にあまりに深く染みこんでいて、2000年に2000円札が発行されても誰も使わなかったという」(水谷淳訳)

 
あんまり面白いのでつい長々と引用してしまった。ここで言及されていることのなかには頷ける話もあれば、首をひねりたくなる話もあるけれど、総じて日本人のある種の感性が要約されているように思う。と同時に、海外から眺めると、日本人の奇数好みがここまで際立って映っているとはいまさらながら恐れ入った次第だ。

 
だとするなら、先般のコロナ禍への対応をめぐっても、日本人みずからが自覚していないところでこうした観察ができるのではないか。当初の段階で政府や東京都が盛んに喧伝した「三密」回避のスローガンは、それが奇数による表現だったために広く国民に浸透し、ついには流行語大賞に選ばれるまでになって絶大な効果を発揮した。しかし、やがて危機感に駆られるあまり、緊急事態宣言のもとでマスクをつける/つけない、夜8時以降に外食する/しない、ワクチンを接種する/しない……といった具合に、偶数の二分法の連鎖へと行政府が傾斜していくにつれ、国民のあいだに反発が巻き起こり、結果的に菅首相の退陣につながった、と――。そしてまた、あとを継いだ岸田首相もこの連鎖から抜けだせず、次々に政策のカードを切っては内閣支持率の低下を招いているのも同じ理由で、もしそれぞれのイシューに対して奇数の道筋を示したなら情勢は変化するのに違いない。

 
これをもっと敷衍すると、数字ばかりでなく、われわれのタイプにも「偶数人間」と「奇数人間」が存在して、なにごとにつけ白黒をつけたがる前者に対して、そのあいだのグレーゾーンに第三の選択肢を見出す後者のほうが、どうやら日本社会で生きていくうえには有利なのだろう。これからの日々に心がけたいと思う。

 
さて、冒頭のマジックのオチをつけるとしよう。

 
著者によると「たいていの人は37を思い浮かべる」。かく言うわたしも真っ先に「37」を思い浮かべただけに、この記述を前にしてのけぞったのだ。出題の条件に合う奇数は、13、15、17、19、21、23、25、27、29、31、35、37、39、41、43、45、47、49の18個なので、そのうちのひとつ「37」を選ぶ確率はアトランダムなら5.55…%でしかない。しかるに、以来、わたしも機会あるごとに目の前の相手にこの出題をしてみたところ、老若男女の別なく半分以上が「37」と答えたものだ。その理由に関してはいくつか心理学的な説明がされているが、そこは本書で当たってもらうとして、あなたが思い浮かべたのはどれだったろう? ただの記号であるはずのその数字が、ことによったら自分の秘められた内面を照らしだす可能性を著者は教えてくれている。
 

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