アナログ派の愉しみ/映画◎小津安二郎 監督『生れてはみたけれど』

映画というメディアの
青春時代を味わうために


19世紀末に発祥した映画の歴史を120年とするなら、ざっくりと前半の60年がモノクロ期、そのまた前半の30年がサイレント期という区分になろう。すなわち、はじめの4分の1が映像に色や音のない時代だ。もちろん、ほかの面でもまだ技術水準は低く、できあがったフィルムの多くも消滅してしまったという頼りない状況だった。しかし、それは同時に、誕生したばかりの新しいメディアの青春時代であり、最も若々しく輝いていたころだったとも言えるだろう。

小津安二郎監督は、モノクロのサイレント期からトーキー期、そして、カラーの時代を迎えるまで第一線に立って計54本もの作品を残した。一般に代表作とされるのは、原節子を起用したモノクロ・トーキーの「紀子三部作」や、晩年のカラーの『秋刀魚の味』などだが、わたしは初期のモノクロ・サイレントの作品も気に入っている。映画の青春時代にふさわしく、ギャグあり、スラップスティックあり、ハリウッド風のピカレスクあり、また、痛烈な風刺ありと多彩。なかでも、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(1932年)は、すでにトーキーへと移りつつあった時期に発表されたものだが、子どもの目をとおして当時の社会状況を見つめてユーモアとペーソスが絶妙にブレンドされた傑作だ。

ところで、かつて職場でたまたま中途採用の後輩社員(30代男性)とおしゃべりしたら、かれは大学時代に映画研究会に所属して、小津だ、黒澤だ、と侃々諤々の議論を戦わせていたという。「じゃあ、小津のサイレントも見たのか?」と問うと、「見ていません」との答えだったので、翌日、わたしは『生れてはみたけれど』のDVDを持ってきて貸してやった。1週間が経って、かれに「見たか?」と尋ねると、「まだ」。ひと月が経っても、「まだ」。なかなか時間が取れない、妻がテレビを占領している……とかなんとか理由を並べるうち、次第にこちらの視線を避けるようにさえなってきて、ようやくわたしは気づいた。どうやらかれの脳がこの映画を見ることを拒否しているらしい、と――。

自分自身を省みても、カラーの映画であれば何の気構えもなく見られるけれど、モノクロとなると少々億劫になり、ましてサイレントとなったら一種の覚悟を必要とするところがある。それは、つまり脳が働くのをいやがっているからだろう。現代では「便利」がとりわけ重要な価値とされているが、「便利」とは脳が働かなくても済むということだ。その意味で「便利」ではないモノクロの映画を見るときには自分の脳で色を補い、サイレントの映画なら音を補わなければならない。そこにこそ、自分だけのイマジネーションを羽ばたかせる余地があって、できあいの色や音をあてがわれるカラーの映画よりもときにずっと深い感動を味わえるわけで、実際、『生れてはみたけれど』でも生気いっぱいの腕白小僧たちによる、いまの日本からは消えてしまった子どもの王国の光景が、自分なりの原体験にもとづく色彩や音声をともなって蘇ってくるのだ。

なに、ちょっと慣れたら、あっという間にモノクロの映画に色が見え、サイレントの映画に音が聞こえるようになるはず。「便利」の前にずぼらを決め込んできた脳の配線をそうやって接続し直しておけば、これから映画の青春時代の作品たちを存分に楽しめるのだから、トレーニングのしがいもあるだろう――と、わたしは思ったのだが、ことはそう簡単ではなかったようだ。脳の抵抗力はそうとうのものらしい。くだんの後輩社員は結局、半年後、「どうしても見られませんでした」と言ってDVDを返却してきたのだった。


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