アナログ派の愉しみ/本◎片山廣子 著『燈火節』

武蔵野はそれより
一足先きに春秋の風がふき


片山廣子(ひろこ)は大正から昭和初期にかけて、佐々木信綱門下の女流歌人として理知的な歌を詠み、また、松村みね子の筆名でイェイツやレディー・グレゴリー、シングなどのアイルランド文学を旺盛に翻訳したことで知られる。その一方で、既婚者でありながら芥川龍之介の「最後の恋人」と噂されたり、堀辰雄の小説『聖家族』『菜穂子』の作中人物のモデルとなったりして近代文学史上に大輪の花を添えている。

 
しかし、わたしが惹かれてやまないのは、そうした美貌の閨秀作家ぶりよりも、長い風雪の歳月を経て晩年に到達した類稀な名文家としての魅力である。生前に出版された唯一の随筆集で日本エッセイスト・クラブ賞を受けた『燈火節』(1953年)は、あたかも咲き乱れる日本語の花束のようだ。どうしたらこうも融通無碍な文章が書けるのだろうか。まあ、四の五の御託を並べてみてもはじまらない。さっそく、このなかの一篇をサンプルとしてご覧に入れよう。

 
『季節の変るごとに』は、東京・杉並区浜田山に住んでいた著者が、太平洋戦争末期に軽井沢へ疎開したのち、戦争が終わってふたたびそこで暮らすようになり、四季折々の風情を食卓の光景から綴ったもの。まさに見事な散文詩と見なすにふさわしい。その前半部分を原文の仮名遣いのままに写す。

 
 季節の変るごとに、武蔵野はそれより一足先きに春秋の風がふき、霜も雪も早く来る、夏草が茂るのも早い。その野原に近い家で何年か暮して来て、毎日の生活には季節の物をたべてゐるのが一ばんおいしく、一ばん経済であることもおぼえた。
 冬から春にかけ、らくに手に入るものは、野菜の中で一ばん日本人好みの大根で、それに白菜、小蕪、ほうれん草、果物では林檎とみかんをずうつと六ケ月位たべ通すのである。十二月、正月にかけて乾柿が出る。新春のなますに乾柿を混ぜたものは世界のどこにもない美味である。冬の葱だけは都の西北の畑には貧弱なものしか出来ない。大森や池上あたりの白根の長いあの豊かな味の物は手に入りにくいから、しぜん、葱を防寒料理に用ひることはさほど愉しいとも思はなくなつた。それは私だけの話。春になつてまづ楽しみにはいちご。春深くなればそら豆やゑんどう。家々の庭や垣根に豌豆の白や紫の花が眼をよろこばせ、夏近くまでふんだんに食べられる。竹の子は日本特有の味をもつてみごとな形をしてゐるけれど、ただ季節のにほひだけで、毎日じやんじやん食べたい物ではない。竹取の伝説や源氏物語にも出てきて、古くからの食料と思はれる。蕗はそれよりも田園調で、庭のすみの蕗をとつてゐる時、わかい巡礼さんの歌なぞ聞えるやうな錯覚さへ感じられる。蕗のとうは鶯の声よりもつと早く春を知らせてくれる。
 初夏の空気に夏みかんが現はれ、八百屋が黄いろく飾られる。一年中に一ばん酸つぱい物がこの季節に必要なのかもしれないが、すこし酸つぱすぎる。その次は可愛い新じやが、小さい物は生物も青ものもどれも愉しい。びわ、桃、夏のものは林檎やみかんほど沢山はたべられない。吉見の桃畑も今では昔のやうにおいしい水蜜を作らないのかと思ふ。遠方からくる桃は姿が美しくつゆけも充分あるけれど、東京のものほどすなほな味ではない。五月六月七月、私たちのためにはトマトがある。どんなにたくさん食べてもよろしい。同時に胡瓜。この辺ではつるの胡瓜も、這ひずりのも、すばらしい物で、秋までつづく。茄子は東京も田舎も、冬の大根と同じやうに日本風のあらゆる料理に最も奥ふかいうまみを持つてゐて、一ばん家庭的な味でもある。
 やがて梨と葡萄が出て、青い林檎もみえ、秋が来る。キヤベツ、さつまいも、南瓜、栗や柿。それに松茸の香りが過去の日本の豊かさや美しさを思ひ出させる。

 
まったく肩の力が抜け、自然な呼吸で言葉を紡いでいく味わいはどうだろう。この文章が書かれたのは著者が72歳のときで、夫が世を去ってすでに久しく、数年前には長男の死も看取って、孤独な身の上をかこつ日々だったと伝えられるが、そうした寂寥の気配は微塵も感じさせずにのびのびと運ばれた筆遣いには、こちらも自然に口許がほころんでしまう。ここには、平安の宮廷で清少納言が『枕草子』を書きつけて以来の、女性の手になる闊達な散文詩の水脈も見て取れるのではないだろうか。

 
わたしの手元にある『燈火節』はオリジナルの随筆集に小説・童話などの作品も併せた復刻版だけれど、現在は入手困難かもしれない。『季節の変るごとに』の一篇のみなら、岩波文庫の『日本近代随筆選』第2集に収録されているので容易に全文を読むことができる(ただし、表記は現代仮名遣い)。
 

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