アナログ派の愉しみ/映画◎アッバス・キアロスタミ監督「ジグザグ三部作」

ジグザグ道は
めくるめく迷宮への入り口だ


東京・小平市の第七小学校がわが母校だ。まあ、ごく平凡な公立小学校で、世に知られる有名人を出したとも承知していない。かつて知り合いからアイドル・グループ嵐の桜井翔が一時通学していたと聞いたことがあるけれど、ネットを調べてもそんな情報は影も形もないから、せいぜい地域限定の都市伝説と言ったところだろう。

 
それはともかく、あのころわたしが暮らしていた都営住宅は、小学校の正門から子どもの足でもほんの数分の距離にあった。木造平屋建ての6畳と4畳半のふた間に一家4人が居住して、猫の額ほどの庭にはカキやグミの木が植わっていた。あたりはそんなマッチ箱のような家屋がずらりと軒を並べて、子どもたちは学校から帰ってくると、自分の家も他人の家も見境なく縦横無尽に出没して遊んだり、ケンカしたり、笑ったり、泣いたりして、ときが経つのを忘れたものだ。大人の目にはごみごみと貧相な住宅街でしかなかったとしても、子どもにとっては広大無辺だった。

 
そうした遠い昔の記憶が呼び起こされたのは、アッバス・キアロスタミ監督の「ジグザグ三部作」のせいだ。優れた映画作家の条件は、その作品に初めて接した者もたちまち既視感のふところに取り込んでしまうことだと思うが、このイランの名匠も例外ではない。スクリーンに映し出されるのは、ホメイニ師を指導者とするイスラム革命期の北部の赤茶けた高原地帯で、もちろんわたしには見ず知らずの土地ながら、いつしか住人のひとりのような気分になってくるのが不思議だ。

 
第一作『友だちのうちはどこ?』(1987年)は、どうやらイスラム革命の荒波も遠く及ばないらしい、コケルという寒村に住む小学2年生の少年アハマッドが主人公。ある日、学校が引けたあと、間違えて隣席の友だちのノートまで持ち帰ってしまったことに気づく。ここに書き取りの宿題をやってこないと退学させるぞ、と先生は言っていた。やむにやまれず、かれは母親の目を盗んで家から抜け出して、ノートを友だちに返すため、むきだしの大地に刻まれたジグザグ道を辿って丘の反対側にあるポシュテの村へと向かう。友だちの家のありかは? まわりの大人たちに尋ねてもさっぱり要領を得ず、胸中の不安に顔を引き攣らせながら、どこまでも石造りの家々が入り組んだ路地をさまよったあげく、ステンドグラスから差し込む夕映えの光と闇が綾をなす袋小路へと迷い込む。めくるめく迷宮――。そこから戻ってきたアハマッドの顔に現れていたのは、少年が初めて自分の力で別天地の扉を開けたときの表情でもあったろう。

 
その後の第二作『そして人生はつづく』(1992年)では、1990年に現地を襲った大地震に混乱するなか、アハマッドらの安否を案じてコケルの村へ赴こうと、映画監督がジグザグ道に車を走らせるがどうしても行き着けず、さらに第三作『オリーブの林をぬけて』(1994年)では、前作に登場した男女のカップルを起用して映画のロケ撮影が行われるものの失敗の連続で、映画監督はジグザグ道を行きつ戻りつ……といったふうに虚実ないまぜになって、スクリーンに描かれる迷宮はいっそう混迷と魅惑の度合いを深めていくのだ。

 
ふいにまた思い出す。あれは、やっと自転車に乗れるようになったころだ。ペダルを漕いでいるうちに近所を離れて、初めてひとりで線路沿いに生い茂った雑木林のジグザグ道を進んでいった。わずかな距離だが、わたしにとっては大冒険だったに違いない。やがて雑木林を抜けると草原が開け、まぶしい青空の下で同じ学校の生徒がいっぱい群がって遊んでいるではないか! あとでは、そこが校舎をはさんで逆の裏門を出ればすぐのところに位置し、そちら側の住宅地に住む子どもたちの遊び場だとわかったけれど、そうした地理関係の理解は別として、あのとき雑木林の向こうに別天地の扉を開いたときのおののきは、現在も自分のどこかに尾を引いている気がする。

 
世界が迷宮だとは、幼い子どもだけの特権だろうか? ことによったらいつかふたたび、ジグザグ道を通って別天地への扉に出くわすことがあるのではないか、とわたしはひそかに期待しているのだが。
 

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