アナログ派の愉しみ/本◎桐野夏生 著『グロテスク』

東電OL殺人事件が
現代社会に突きつける警告


1997年3月、世にいう「東電OL殺人事件」が起きた。東京・渋谷区円山町の空きアパートの一室で女性の絞殺死体が発見され、身元が判明してみると、39歳の被害者は昼は東京電力東京本店のエリート社員で、夜はうら寂しい街角の「立ちんぼ」の売春婦という、まったく別のふたつの顔を持っていたことからスキャンダラスな話題となった。その真相を解き明かそうと、おびただしい出版物が氾濫したけれど、わけても桐野夏生の『グロテスク』(2003年)の衝撃はいまも生々しく記憶に刻まれている。

 
あくまで事件を下敷きにしたフィクションの小説である。しかし、そのぶん作者は事実に制約されることなく想像力を駆使して、かえって事実に秘められた闇を照らし出すことに成功したのではないか。とくに圧巻なのは前半を占める、主人公・和恵の高校時代のエピソードで、作中では「Q学園」と仮名にしてあるものの、被害者が実際に通学した「慶應義塾女子高等学校」が舞台となっているのは明らかだ。平凡なサラリーマン家庭に育った和恵は努力してこの難関の高校への入学を果たすが、そこは初等部からエスカレーター式に上がってきた「内部生」が支配する階級社会で、こうした富裕層の子女たちに「外部生」の彼女が立ち向かおうにもカネの格差にはねのけられる。それだけではない。さらにはまた、美にまつわる厳然たるヒエラルキーも存在していたのだ。

 
和恵の同級生の妹ユリコが転校してくると、その異常なほどの美貌と生まれつきの娼婦の資質によって「内部生」すらも圧倒してたちまち校内に君臨してしまう。担任教師の息子のキジマがさっそくポン引き役を買って出て、つぎからつぎへと金持ちの生徒やらOBの大学生やらとの仲を取り持つことに。そんなある日、新たな商談が成立したあとで、キジマがユリコをグラウンドへ連れだした場面を引用してみよう。

 
 「面白いものを見せてやる。付いて来いよ」
 「面白いものって?」
 「お前の姉貴が体育の授業に出るぞ」〔中略〕
 姉のクラスは、奇妙なリズム体操の授業を始めるところだった。ジャージ姿の女性教師が真ん中に立ち、その周囲を盆踊りの輪よろしく生徒たちが囲む。教師は手にタンバリンを持ち、激しく打ち鳴らした。その途端に、踊りの輪が奇妙な動きを始めた。
 「脚は三拍子、手は四拍子」
 三拍子で歩きながら、腕は決まった振りでリズムを取る。体操とも踊りとも言えない滑稽な姿だった。強いて言えば、動きの多い盆踊りだった。
 「あれはリズミック体操ていうんだ。Q学園女子の伝統の十八番だ。お前もいずれ体育でやらされるから見ておけよ。あれの見所は、誰が野心を持っているかがすぐわかることさ」

 
野心とは、やがて高校から大学へ進んだときに希望の学部に入るために勉強だけでなく、こうした授業でもいい点数を取って総合成績を上げようとする姿勢を指す。だから、負けん気の強い和恵も必死の形相でついていくのだが、教師の要求が次第に「脚は七拍子、手は十二拍子」「脚は八拍子、手は十七拍子」とエスカレートするにつれて、全身がぎくしゃくして止まってしまう。あたかも、エリート人生を突っ走ったあげく袋小路にはまってついに身動きできなくなる未来を暗示するかのように……。

 
実は、わたしはこの小説を読んだ直後、たまたま知りあいの若夫婦と会食中に奥方が慶應女子高の出身と聞いて、本当にこんな体操の授業があったのか訊ねたところ、あったとの答えだった。そこで、手を合わせて頼み込み、ほんのサワリとはいえまさしく上記どおりの実演を見せてもらって仰天した。

 
もっとも、いまではだれも驚かないのに違いない。あの当時、リズムと動作の組み合わせはもっぱら女性のものだったが(最高の例がピンクレディー)、いつの間にかすっかり男性も取り込んで、今日では小学校の運動会からNHK紅白歌合戦までありとあらゆる舞台で、わたしには人間離れとしか見えないダンスが当たり前の光景となった。そして、野心いっぱいで踊るかれらの背後では、やはり美とカネをめぐる格差がスキあらば奈落の底に呑み込もうとしているのだろう。かつて以上にグロテスクな口を開けて――。桐野夏生の筆鋒にしたがうなら、それが四半世紀を経てなお未解決の「東電OL殺人事件」が現代社会に突きつける警告なのかもしれない。
 

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