アナログ派の愉しみ/音楽◎ドビュッシー作曲『牧神の午後への前奏曲』

それは音楽の
禁断の扉を開いた


クロード・ドビュッシーが30歳のころに書き上げた『牧神の午後への前奏曲』(1894年)は、クラシック音楽に新たな表現方法の扉を開いた作品であり、今日ではオーケストラのコンサートにおける定番の人気曲となっている。もっとも、果たして女性たちはどのように聴いているのだろうか? こんな疑問を呈したのは他でもない、あからさまに言ってしまうと、あのフルートの嬰ハ音ではじまる気怠くたゆたう音楽が、わたしの耳には男性がオナニーに耽っているさなかの白日夢のように感じられるからだ。

 
あながち見当外れではあるまい。ドビュッシーは親交のあったフランス象徴派の詩人、ステファヌ・マラルメの長詩『牧神の午後』(1876年)に触発されてこの曲をつくった。もともとは前奏曲、間奏曲、終曲の三部作の構想だったものが、『前奏曲』だけを独立させる形になったという。だとするなら、くだんのフルートのソロによる開始は、まさにマラルメの詩の冒頭部分と照応していると考えたくなる。

 
 あのニンフたちの姿を、私は永久に持ちつづけたい。
 
 いともさやかに、
 あの肌の鮮やかな薄肉色が、ものみな濃密な睡気にとろりと浸る
 空中に、ちらちらと翻る。
 私はまたしても、一つの夢に溺れたのか?
 
 古い夜の積み重ねからきた私の疑念は、ようやく、
 細い無数の枝葉に分れて行って、やっと現実の森そのものの形で残り、
 ああ、やっぱり! 私はここに独りでいた、そしてばらの花たちを勝ちとったという
 観念の錯誤を犯していたことを、あの無数の枝葉が明かしている――
 (井上究一郎訳)

 
どうだろう? ここにあるのは男性が自閉的な性の快楽へと分け入っていくときの、めくるめく妄想の内容と等しくはないか。難解で知られるコワモテの詩人は、好色な牧神の自問自答をとおして、エクスタシーというものを極限まで突きつめて抽象化しようと企てたようだが、世の男性どもにとって、エクスタシーの抽象化とはおのずからオナニーに向かうのではないだろうか。

 
こうしてマラルメからドビュッシーに受け渡され、言葉から音楽へと増幅された男性のモノローグの世界は、さらにのちにロシア・バレエ団が『牧神の午後への前奏曲』をバレエ化した公演(1912年)の伝説的なダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーにつながっていく。主役の牧神に扮したかれは舞台上で、あからさまにオナニーの所作をやってみせて轟轟たるスキャンダルを巻き起こしたのだ。

 
旧約聖書の『創世記』はつぎのようなエピソードを伝えている。ユダという父親のもとにエルとオナンのふたりの息子がいて、兄のエルが神の怒りに触れて死んだのち、ユダは弟のオナンに対して未亡人となった兄嫁と結婚するよう命じた。しかし、オナンはそれが不満のあまり、交わりの床で精液を外に洩らしたので、かれもまた神の怒りを受けて殺された。これがオナニーの語源となり(正確にはオナンが行ったのは膣外射精だったわけだが)、キリスト教世界でオナニーをタブーとしてきた根拠となった。そこには文化人類学的なさまざまな要因があるだろうが、いちばんの根底には、男性にとってセックスとオナニーのあいだに生理機構上の差違がなく、こと快楽を得るためだけなら、女性との煩わしい交渉を必要とする前者よりも、自分の意のままに遂行できる後者のほうが合理的という事情が横たわっているだろう。

 
ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』は、音楽の新たな表現方法にとどまらず、それまで封じられてきた禁断の扉も開いたのだった。
 

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